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カルサレス卿の獄中記(7)
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 そんなわけで私は、「敵方に寝返るかどうか思案中の大貴族」という肩書きで、このシオレンカ砦に長逗留することとなった。


 本当の大貴族はすでに身請けされていたから、邸内でも一番いい居室が空き部屋になっている。そこを使わせてもらえるのではと期待したが、私が移されたのは、より警備の手のかからない、この塔のてっぺんであった。
 捕虜の在庫がひとまず捌(さば)けたわけである。守備部隊は再編成され、このシオレンカ砦は最前線からさらに遠ざかる。建物の周囲にぐるりと見張りを配置しておけるほどの人手は、当面なくなるのだ。今では塔の昇り口に、兵士がひとり詰めるだけになっていた。
 塔の壁面のまま円形をした独房には、三方に換気のための窓穴が切ってある。肩も入れられないほどの小さい穴だが、根性のある囚人ならこの穴をなんとか広げ、縄を垂らして伝い降りなど考えるのだろう。私は、三方ともにぼろ布を詰めた。てっぺんは寒いのだ。そのありがたいぼろ布は、女たちからの最初の差し入れだった。
 火にあぶられた髷は切り落とすより他になかった。私の髪は固くて真っ直ぐなので、肩のところで切り揃えると元服前の童(わらべ)のようになる。中庭を塔まで引いて行かれたおり、女たちが騒いだのは、私の髪型が彼女らの目に、その、いわゆる、ちょっと可愛らしく映ったからだと、私は思っていた。


「黒いお髪(ぐし)も肩までの断髪も、教会のお堂に並んでる聖人さまの像にそっくりなんですとさ」
 ネグトレンは腕組みして壁にもたれていた。私は別の壁ぎわに椅子を寄せ、私たちはそれぞれ別の窓穴から、外を眺めていた。
「女たちによると旦那は、お顔立ちまで聖キエトさまにそっくりなんだそうで」
 颯爽とした武人の殉教者かと思いきや、話を聞くとそれは子供の聖人だそうだ。
「子供でも聖人になれるのか。早死にしたのか」
 私は小さなカゴを膝に乗せ、女たちからの差し入れだという干した木の実をぱくついていた。じっとりと糖分のにじんだ果肉を噛みながら考える。私はもしかして、差し入れというよりお供えものをされているのだろうか。
「さてね。なんでも十二〜三の頃から巧みな説教をして、民衆の前で奇跡を起こしたとか、起こさないとか」
「結局どっちなんだ」
 思わず振り返ると、体がぐらりと揺れた。毛布を積んで窓穴にすがっているので、私の玉座はかなり高さが出ているのだ。慌ててバランスをとる。
「奇跡は本物だったのか、イカサマだったのか」
「ですからね、話として面白いほうを取りゃいいんでさ」
「ふん」
 私は木の実をむしゃむしゃしながら、窓穴へ種を飛ばした。
「塔の囚人の正体は、おのぼりさんの貧乏貴族だと言うより、主君を恨む辺境旧家の当主だと言ったほうが面白いのと同じか」
「そういうことで」
 ネグトレンがニヤリと笑う。と、
「トレーン! そこにいた!」
 中庭から声が上がった。見ると、ホラ吹きの傭兵にからかわれていた赤毛娘だ。横手の窓穴にいる私に気がつき、慌てて両手を組んでカクと膝を折る。祭壇への礼のような会釈を済ますと、ネグトレンがいるほうの窓に噛み付いた。
「かまどの掃除を手伝ってよ! トレンでないと手が届かない!」
「“トレン”?」
 バランスを崩さぬよう、今度はゆっくりと振り向いた。ネグトレンお得意の見透かすような目つきを真似てやる。
「それで、このあいだ彼女の名を聞いたときも教えてくれなかったのか」
「そうでしたかね?」
 ネグトレンは窓下へうるさそうに手を払う。
「名前はシュゼッタですがね」
「シュゼッタ。可愛いなあ」
 私は大げさに腕を回し、壁に肘をついた。
「ではお前も、いずれシュゼッタにせかされて、尼僧長との面談に引き出されることになるわけだな」
 想像するとなぜか小気味いい。頬杖をしながら私がニヤついていると、中庭にひとりまたひとりと女たちが集まりだした。
「トレンは上なの?」
「トレーン、井戸の滑車を見てくれるって約束でしょう」
「こっちが先よ。トレーン! ロバが歩かないの!」
 三方それぞれ鼻にかかった“トレーン”の唱和が響き、むっつりと笑顔を収めた私の代わりに、ネグトレンの口の端が吊りあがった。
「トレーン! いいから降りてきて!」
「ああ、旦那」
 ネグトレンは正式の辞儀を取り、尻からさがっていく。
「呼ばれましたもんで、ご免くださいよ」
「どこへでも行け」
 私がぶん投げたカゴをぱしっと受け、色男は女の園へ去った。
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