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カルサレス卿の獄中記(4)
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 私がこのネグトレンと親しく言葉を交わすようになったきっかけだが、あるとき彼が私に、火のついた油をぶちまけたのだ。


 塔に移る前、私は他の捕虜たちと同じように、邸内の居室を独房として割り当てられていた。その日も砦の指揮官であるイウォリ隊長が部屋に来て、差し向かいの尋問と相成った。
「さてカルサレス卿。貴公の身代金だけが、いまだに支払われる気配もないというのは、一体どういうわけでございましょうな」
 言葉は丁寧だったが隊長は上座も譲らず、部屋で一番上等な椅子を占領していた。
「先のエンデシュの戦いで捕虜となった騎士がたは、いずれも相応の身代金と引き換えに、無事ダシート王の陣にお返し申し上げた。もうこの砦で、売れ残っているのは貴公だけですぞ」
 まるで嫁き遅れの娘をなじる口調だ。こちらを若造と見てあなどっているのだろう。丸々と太った男で、身頃や肩口にひだを寄せた軍装はさながら巾着袋。この巨体を支えるのに並みの椅子では間に合わないのだろうし、年算と体重の序列に従い、上座は譲ったものの、
「待ってくれ、イウォリ隊長」
 背のない椅子に座らされた私は、お小言を頂戴している気分だけでも振り払おうと肩をそびやかした。
「私は身代金を要求されるいわれはない。他のかたとは違うのだ」
「そうそう。貴公の捕縛は合戦の場ではなく、エンデシュ原からはほど遠い、シバム山中の道端でしたな」
 隊長の目がすうっと細まり、私は椅子の上でまた小さくなった。
「ちょっと、エンデシュにたどり着く前に、山道で案内の者とはぐれてしまったのだ。山越えに詳しい土地の男を雇ったのだが、金を払ったら途端にまかれてしまって、あたりを従者に探させているところを、私だけあなたがたの部隊に見つかってしまって」
 格好のつく言い訳をしようとするからこうしどろもどろになるのだ。もう開き直ろうと、私はぐっと胸を張った。
「とにかく、金はないのだ。私の所領は大して豊かではないから」
「またまた」
 隊長は天を仰ぎ、太鼓腹の上で手を組んだ。
「貴公の装備は武具から甲冑、馬具ひとつに至るまで、一級品ばかりでござったぞ。金がないなどと見えすいた方便に、いつまでしがみついておられる」
「いや、本当にうちは貧乏なのだよ。一族の者も駆け回って金を集めているだろうが、できればもうちょっと値下げしてやってくれないか」
「値下げ……」
 たるんだアゴの下で巾着袋が膨れ上がった。隊長が息を吸い込んでいるらしい。腰の革ベルトがぎゅうと悲鳴をあげた。
「我がプノールンプルン王を愚弄するのも大概になされよ!」
 この新興の王の名は、いつ聞いても笑いがこみ上げる。かの王の側近たちはどうしているのだろう。御前会議のたびに尻でもつねって耐えているのだろうか。
「本当に払えないのだ。信じてもらいたい」
 頭を抱えるフリをして笑いをかみ殺したが、大げさな苦悶の演技に見えてしまったかも知れない。隊長はフン、と鼻を鳴らした。
「ご一族で全額が揃えられないのなら、ダシート王が足りない分を出せばよいのです」
「そうですとも。それが正しき王の道です」
 背後に控えていた副官が調子を合わせた。ひょろひょろと縦に伸びた身丈を持て余しているのか、重心が定まらない。しゃべりながら音節に力を入れるたび、細い体がぴょこんと揺れた。
「我がプノールンプルン王はいつだってそうなさります。騎士の命をあがなうのに主君がためらいを見せるなど、なんたる非道。真の王たるプノールンプルン王ならそのような……」
 慣れればこうも連呼できるようになるのか。“プノー・ルン・プルン”のリズムに合わせてずっとぴょこぴょこやられたのではたまらない。私は大声で副官をさえぎった。
「私は違う。ダシート王のためにまだ何もしていない。正々堂々と戦って負ければこそ金を払うのだ。これはただの誘拐だ」
「いやいや」
 隊長は虫を払うように片手を振った。
「貴公はダシートの旗標をたずさえ、武装して山中に潜んでおられた。遊撃(※注)とみなすのは当然」
「私はそこでのんびり火に当たっていたのだぞ。遊撃も何もない」
 その焚き火の煙はこのシオレンカ砦からも見え、私はそうして無様(ぶざま)に捕まったのだった。
 この話は砦じゅうで評判を呼んだらしく、兵士たちの炉辺がたりにも頻繁に登場した。道案内にまかれて戦に遅参したというかなり恥ずかしい言い訳を堂々と盾にする“ぼんやりのお公家さん”像は、私の人となりとして部隊内ですっかり定着してしまった。
「私はあなたがたの兵に対して、剣すら抜かなかったでしょうが」
 なるたけ弱々しく言ってみる。普段であれば、この話題になるとさんざん私を馬鹿にして楽しむくせをして、隊長は「それはそれ」と鼻息ひとつで片付け、
「こうなった以上、貴公の身柄は、正式の手続きを経ねばお返し致しかねる」
 あくまで形式にこだわる構えだ。副官も深くうなずいている。
「ダシートのケチ王のこと。大貴族の身代金で、敵の金庫が潤うのが許せないのですな」
 彼らの胸算用では、私の価格はどこまでも高額にすえられてしまっているらしい。
「大貴族などと、決してそんなことはないんだぞ。私の領地は遠方だから、プノールンプルン王の宮廷でっ、名が通っていないのも道理だがっ、ごほっほ」
 ちょっと、自分でも王さまの名を言ってみたくなったのだ。やはりおかしい。私は口の中で頬の肉を噛んで耐えた。
挿し絵(別窓) back / index / next
「遊撃」=あらかじめ攻撃する目標を定めず、戦況に応じて敵の攻撃や味方の援護に回ること(大辞泉)
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