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赤毛姫の憂鬱(11)

 卿が、ふと私の頭のうしろに目をやった。
 私の頭ではなく、自分の手のひらから、なにかくっついていたものをつまみあげる。
「これをお見せしたかったんだった」
 なんだっけ。
 そう。なにかを見せてくださろうとしていた。
 さっきチラリとだけ見た小さなものは、なにかの紙切れのようだったけれど。
「湖沼地帯で採れる、珍しい顔料なんだそうですが」
 湖沼地帯。一気に現実にひきもどされた。
 風光明媚だと聞くかの地の名は、私の耳にもう美しくは響かない。
 結局このひとは、あっちこっちでいろんな姫君に引き合わされているわけで、湖沼地帯でもっと条件のいい誰かに出会っていたら、カルサレス一行はエジマでの隠密活動をきりあげ、行ってしまうこともできたのだ。
 私は差し出された紙きれを、悲しく見つめた。
 表面の粗い、小さな紙面の真ん中に、ごくあっさりとした花の図案が描かれている。
「これは、単なる見本としてもらったものですから」
 私を助けるときに握りつぶされたのか、紙はくしゃくしゃで、薄く塗られた茶色っぽい顔料は、ひび割れだらけになっていた。
「ちゃんとした紙のうえだと、たったいま溶かされたばかりの黄金みたいに、赤い輝きが出るんです。金箔を貼ったりするのとは、まるで違う」
 確かに、くすんだ花弁のところどころは、どんな華麗な彩色画でも見たことがないような、深いきらめきを放っていた。
「会議で同席したヴールユ伯の書類に、こんな飾り彩色があって、あなたの髪の色に使えるなと」
「私の髪?」
「教会に献納する彩色経典に、聖人の取り巻きとして、我々の姿も描いてもらうんですよ。ええと、あなたは伝道教会派に改宗することに、もう決まってしまっているんですが」
 勝手にすみません、と卿は言ったが、私はかがやく花を見つめながら、ただ首を振った。
 二枚舌の誰かさんが、こんな紙きれを持って馬をとばしている姿が目に浮かんで、笑ってしまう。
「私の髪は、こんな色なのね」
 卿がうなずいて指を伸ばし、私の頬から涙をぬぐった。
 笑っているのに、瞬きをするたびポタリと落ちる。右の頬、左のあごと指で滴を追いながら、卿も笑った。
 いいように感情を揺さぶられているのが、少し悔しい。離れ馬が跳ね回っているような状態の頭を総動員して、チクリと切り返す言葉を探した。
「ヴールユでは、やっぱり四姉妹にお会いになったのでしょう?」
「ええ」
「どんなかた …… あの」
 顔かたちをたずねるわけにはいかない。
…… 赤毛のかたはおられた?」
 卿は少し首をかしげた。
「そう、おひとりの髪はすこし赤みがかっていたかな」
「私と、どちらが赤いですか」
 私を見つめ、卿はにっこりと笑った。
「いつか、並んで立って、比べてみますか」
 私は礼服の胸に飛びついて、顔を隠した。
「忘れてください! 忘れて、どうか」
 私の頭のうえに、卿が唇を押しつけた。
「忘れたくないな。あなたが妬いてくれたというのに」
 抱きしめられながら、胸がきりきりと痛んだ。
「どうか。そのかたたちも、きっと私と同じように心細い思いをなさったはずなのに、私はなんてひどいことを」
「ひどいのは私だ。ガリーからの報告を待つあいだは、どこへ招かれても、もったいぶって返事をはぐらかせて」
 あやすように卿が私の体を揺らし、背中をぽんぽんと叩いた。
「四人の姫君には、カルサレスにくみする騎士のなかから、ふさわしいお相手を探すつもりでいますよ。ヴールユは、味方につけておいて損はない相手だ」
 本当にそうだ。エジマは、この扱いにくい一族は、カルサレスのためになにかできるのだろうか。
「ヴールユ家のほうが、エジマよりカルサレスのためになると、進言するご家臣はおられなかったの」
「ふむ」
 卿は腕をゆるめ、私の顔をのぞきこんだ。
「うちの軍師の、受け売りですが」
 私も、目だけで笑ってみせた。それはもう、私たちだけに通じる冗談になっているから。
「なんとでもなるそうです。ほら、あの海賊時代の宝物庫などをひっくり返せば、使える血筋か由緒書きかなにか、見つかるだろうと」
 私は、みすぼらしい古道具ばかりが積んであると聞く、地下の物入れを思い浮かべ、かなり不安になった。
「なにもなかったら?」
「あの男なら、なにかでっちあげますよ。十八番(おはこ)の、ペテンです」
「ペテン ……
「すでに、エジマのいわれのあるご先祖を何人か、伝道教会派の聖人にできないかと画策中で」
 うまく運べば、エジマがダシートの本流だと言い張ることだってできるとか、商売のやり方を根本から変えさせて、そのうち全ユワクの通商を掌握できるようになるとか、砂浜で風に吹かれながら、吟遊詩人でも呆れて投げ出しそうな、気宇壮大でケタはずれな夢物語を、私は彼からたくさん聞いた。


 防砂林のなかで、皆イライラしながら待っていたことだろう。

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