HOME
赤毛姫の憂鬱(7)

 私がしゃなりしゃなりと先頭を歩き、カルサレス卿、ベレンツバイ卿が続いた。
 主役がそろって中座したのを怪しまれないよう、私たちは宴席からも姿が見える、広い場所へ出てきていた。
 テーブルにはベレンツバイの奥さまが残り、おしゃべりを続けている。
「やっぱり、あなただったのね」
 私はつぶやいたが、頭はまだ混乱していた。
「いいえ」
 ベレンツバイ卿の落ち着いた声が答えた。
「あれはガリーという男で、ベレンツバイの手のものです」
「え、だけど …… ?」
 思わず振り返ると、すぐ後ろはカルサレス卿だった。卿も振り返って、私の問いかけが順送りに回される。最後尾のベレンツバイ卿が恭しく受けた。
「あやつは西方訛りがひどくて、こたびのような隠密行動のさいは、私の普段の言葉つきをすっかり真似る悪いクセがありまして」
「はあ、訛りをかくすわけね」
 私は気の抜けたようなあいづちを打ったが、あいだにいたカルサレス卿は違った。
「隠密行動、そんなものを頼んだ覚えはないぞ」
 低く言いながら軍師どのに詰め寄る。
「エジマの出かたをそれとなく確認しておいてくれと、それだけだ」
「確認と申されましても、閣下」
 軍師どのは困ったような素振りであっても見るからに面白がっているという複雑な態度で、とにかく胸に片手を当てた。
「姫君は当然乙女らしい恥じらいのごようすしかお見せにならないし、エジマどのの態度はどうも読めない、ダシートから姫への打診はまだ公(おおやけ)のものではないし、正面からでは埒があかないといったわけで、からめ手から」
「お前のからめ手はいつもそうやって」
「その、ガリーとかいう隠密ですけど」
 長くなりそうな話に割り込むと、男性陣は大人しく黙った。
「その男に、私の髪はそんなに赤くないなんて言わせたのはどうして?」
 聞きたいのは、それだけなのだ。
「髪?」
 カルサレス卿も軍師どのを見る。
 ベレンツバイ卿は、思い当たらないという顔で眉を寄せた。
「一言一句まで指示しているわけではございませんので、失礼があったやもしれません。きつく罰しておきますので」
「私の髪は、赤毛といえるほどじゃないって言ったのよ」
「あの男、自分の女房以外の赤毛は赤毛と認めないところがあるから」
 大変な無礼を、とカルサレス卿は恐縮したが、そうか隠密にも女房がいるのかと、私は妙なところに感心していた。
 女房といえば。
 私は鋭く息を飲んだ。
「まさか、ベレンツバイの奥さまも、このことはご承知 ……
 当然だ。髪で目を打ったなんてその場の勢いでやったお芝居に、彼女がだまされたフリをしてくれなければ、私はあの砂浜で馬丁とふたりきりになどならなかった。
 軍師どのが小さく頭をさげる。
「妻はそもそも、皆さまと親しくお話させるために呼び寄せたのですが、非公式なおしゃべりの席でも、どなたもなかなか本音をおっしゃらない。もっと身分の低い、どうでもいい者になら、お気を許されるやも知れぬと。失礼ながら」
 もやもやとしたものが渦まいて、体にのしかかった。両腕がぐったりと重くなる。
「あんな隠密は、他にも? 父や、一族のまわりに?」
「いえ。あまり大勢の他所ものが嗅ぎまわっては目立ちますので、あの男だけ」
「狙いは、私だけだったということ」
 へなへなと声が震えた。
 奥さまに駈歩を教わろうと思うの。
 下手な誘いに、にっこりと応じた馬上の貴婦人。
「年若いご令嬢なら、口をつぐんでおられましょうから。正体を明かさない怪しげな男と、親しく言葉を交わしたなどということは」
 そのへんでカルサレス卿の声が割って入ったようだったが、言葉が耳に入らなかった。
 正体を明かさない。
 自分が使った覚えのある言い回しに、心臓が冷たくなった。あの馬丁との会話は、そこまで詳しく報告されているのだ。
 同時に、あのとき一瞬だけ抱いた、海の泡のような気持ちが頭のスミをよぎる。
 いま怒りで血の気が引いていてよかった。もう少し血のめぐりがよいときだったら、たちまち顔が赤くなっていたところだ。
「少し休みたいので、退がらせていただきますわ」
 自分でも驚くほど冷静な声で言い、引き止める身振りにも気づかぬフリをして、きびすを返した。
 背を向けた途端に涙が出ていた。危ない危ない。


「これは、姫君」
 馬丁がかしこまりながら、小走りに私を出迎えた。
 厩舎に来てしまったのだ。あの馬丁がいるはずもないのに。
「私のぶちに、鞍をつけて」
「ただいま」
 当然一緒に出かける仲間がいると思うのだろう、ほかの馬丁たちも、それぞれに鞍を抱えてやってくる。
「お供はどれほどお連れでしょう?」
「そうね」
 五人よ、と適当に答えて、馬丁の差し出した両手に靴をかけた。
 とても遠乗りに出かけるようなものではない華奢な靴に、馬丁がおやと目をとめる気配がしたがかまわず、勢いよく鞍に飛び乗ったとき、駆け込んできたベレンツバイ卿と目が合った。
「レディ・カタシア!」
 思い切りぶち馬の腹を蹴ったあとは、水彩画のようににじんだ景色が、背後に飛びすさった。

HOME