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赤毛姫の憂鬱(6)

 会議と諸侯への儀礼訪問を終え、新たに“北ユワク公”となったカルサレス卿の一行は、再びエジマに入った。
 迎えるエジマも、もてなされるカルサレスも、なごやかに再会の挨拶を交わし合った。
 公式の宣言のようなものは特になかったが、一行が城門をくぐったときから、“しかるべき時に申し込みがおこなわれ、それはしかるべく受けられる予定である”と断言するような空気を、エジマとカルサレスが一致協力してかもしだしている、そんな雰囲気があるのがわかった。
 どうやら私は四姉妹に競り勝ったらしい。
 重いプライドを肩から下ろしたエジマの一族は、安堵と脱力の中間のような表情ではあれ、とにかく最初のころよりは格段に社交的になって、客人のもてなしに励んだ。


「本当においしいこと」
 ベレンツバイの奥さまはそう言って、白い果物を優雅に口に入れた。
 庭園の色づいた木々のなかに、午後の“小休憩”のテーブルが設けられていた。夜の正餐まではまだ間がある。
 私はもう髪を結ってもよいことになっていて、ひねったり巻きつけたり、複雑な髪型で席にのぞんでいた。
「他に似ているものが思い浮かびませんわ、この味」
 完璧なテーブルマナーで決してがっつかない奥さまも、ちょっぴり指をなめている。最高の賛辞だ。
「遅くまで実をつける木が、より格別に甘いのです。お出ししたこちらは晩穫も晩穫」
 愛想をふりまきながら、父はカルサレス卿にも笑顔を向けた。ご感想をいただこうと待っているが、卿は婦人用に飾り切りにされたものではなく、皮つきのままのが盛られた鉢を前に、ひたすら機嫌よく食べている。ひと口ごとに低くうなっていて、まあお気に召したようだ。
 うちではただ“丘りんご”と呼んでいるが、本当はりんごとは違う種類の植物だ。切り立った崖の低木につく、小ぶりだが香りの強い果実は、栽培はできず、収穫も命がけになる。
「そんな貴重なものとは知らず、浜でのお弁当にいただいたのを、私ったら馬にまで食べさせてしまいましたの」
 奥さまが言うと、皆笑った。もう滑稽なできごとを、滑稽なものとして笑ってもいい。
「いやまったく、旨そうに食べとりましたな」
「皆さま悲鳴を飲み込んで、もう目を白黒させて」
「わはは」
 談笑の席には、ベレンツバイ卿もいる。
「レンダーのやつめ、舌がおごってしまって、もう北ユワクでの暮らしには戻れぬやも知れませんな」
 軍師どのの控えめな軽口にも、いちいち敏感な反応が起こった。
「あの立派な黒鹿毛を引き止めるためなら、丘りんごを木箱いっぱい用意させましょう」
「馬とはまことに美しい生き物ですなあ」
「平原では皆さん、お小さいころから乗馬をなさるの?」
「ベレンツバイの坊やはもう、おひとりで小馬にお乗りだそうだ」
 おお、とまた別のざわめきがあがる。
 四才の幼児を馬に乗せる平原の民。
 防御の盾をすっかり下ろしてしまえば、何を聞いても、とてもかなわない、という気持ちになれるらしい。
「今度はぜひ、小さな軍師どのもお連れ下さいましね」
「たった四つで宮廷の留守居役とは、すえ頼もしい」
 話題は、現在シバム山脈の東麓におかれているカルサレス勢力の仮宮廷へと移り、しばらくするとお付きの衛士が近づいて、ベレンツバイ卿に耳打ちをした。
 軍師どのは、非礼をわびながら席を立った。


「ちょっと失礼いたしますわ」
 私が立ち上がると、テーブルの男性がいっせいに立つ羽目になる。私は素早く母の耳元にかがみこんだ。
「髪が気に入らないの。直してきます」
 まあまあ、しようのないわがまま娘でと笑う声を背中に、侍女につきそわれながら宴席を離れる。
「お前は残って、お話を聞いていて。話題に取り残されては嫌だから、あとでみんな聞かせてちょうだい」
 庭園のはずれで侍女をやっかいばらいしたあとは、ドレスのすそをつかんで柱廊を駆けた。


「ベレンツバイ卿!」
 がらんとした柱廊に、声がやけに響いた。
 振り返った軍師どのは、こちらに正対してきりりとお辞儀をした。
「これは、エジマの姫。何か」
「あなた ……
 考えがまとまらないまま、しゃべりだしてしまう。
「会議のあいだ、あなたは本当にずっと、カルサレス卿に同道なさっていた?」
 卿は答えず、付き従っていた衛士に合図して、先に行かせた。
 たっぷりした間合いで向き直る。
「何とおっしゃった、姫?」
「あなたが会議や湖沼地帯へ行っているはずの時期に、私、あなたによく似た人と、話をした気がするの」
「おたずねの意味が、よく分かりかねますが」
 話しているうちに、確信がでてきた。この人だ。
「そっくりよ。そうやってかしこまるときの、半分ふざけたような口調なんて」
 いつのまにか私が問い詰めるかたちになっていたが、卿は困った風でもなく、面白そうに私を見ている。
 あの馬丁はこんな顔だったろうか? そういえば、目や口元といった一部分ばかりで、顔全体をちゃんと見たことは一度もなかった。
「レディ・カタシア?」
 柱廊の端に、カルサレス卿の姿があった。私を気にしながら、つかつかと軍師どのに近づく。
「どうした、ネグトレン」
「閣下」
 ベレンツバイ卿の目が、楽しげに光った。
「どうもバレちまったようです」

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