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赤毛姫の憂鬱(5)

 力なく言った言葉が、風の中にただよっている。
「賢明なことだ」
 男は私にだけ分かる程度に頭をさげた。
「相手の目的が分からないうちは、とにかくしゃべらせるに限る。敵か味方かは、だんだんと分かってくるもんでさ」
「敵か、味方か? そんな ……
 私はゆるゆると首を振った。
「そもそも、カルサレスやベレンツバイが、エジマにとって敵なのかどうかも分からないのに」
「ほう。ご家中でも、意見は割れていると」
 とっさに意味が取れず、私は首をかしげた。男はわずかに振り返った。
「田舎の成り上がりを、誇り高きダシートの中枢に食い込ませることに、反対するご家臣もいるわけでしょう?」
「いいえ。笑うでしょうけど、皆やっきになってエジマを売り込もうとしているのよ」
 男はうーんとうなった。
「そうは見えないが」
「どうぞうちのをお選びくださいとは、言えないでいるだけ。プライドが邪魔するのね」
 つられて私まで斜(はす)にかまえた言葉つきになっていた。自分が何か、気のきいた冗談でも言っているような気がしてくる。
 私は口元だけでニッと笑った。
「ダシート宗家からも婚約の打診がきていて、迷ったふりはしているけれど、受ける気はさらさらないの」
 男がほうと言った。
「現宮廷からとは、いい話じゃないんですかい?」
「王弟の、奥さまの、腹ちがいの兄ぎみだったかしら。そうおじいさんでもないらしいわね」
 向こうも冗談のつもりなのだと思えば、腹も立たない。冗談への正当な評価として、私は軽く鼻だけ鳴らした。
「カルサレスへのあてつけに打診を寄こしたわけよ。花嫁候補を横から掠め取ってやれば、いい面(つら)当てになるものね」
「じゃ、エジマはカルサレスつぶしに、協力なさらないんで?」
 私はきゅっと肩をすくめた。自分の人生を他人ごとのように話せていることが、なんだか大人っぽくて爽快だった。
「宗家はそもそも、普段からエジマを海賊時代の残党とさげすんでいるの。婚姻したって、うちに利益はないわ」
「利益ね。さばけたもんだ。ご自分の結婚相手の話なのに」
「普通よ。しもじもの者には、分からないでしょうね」
「ははあ、これはやられた」
 男が袋から何かの穀粒をつかみ出し、ぶちは嬉しそうに食いついた。
「売り込みが成功するよう、祈っとりますよ。それにしたって、もう少しわかりやすく売り込んだほうがいい」
「精一杯なのよ。選ばれるがわの立場としては、これがプライドを保つ精一杯」
「なるほどね」
 ぱぱん、と音をたて、男はぶちの鼻づらをさすった。
「馬ぐるいの奥さまのご道楽にもせっせと付き合って、こうして毎日、潮くさい浜辺へお運びだと。この浜辺道も」
 ま新しい木組みの道を、ぼこんと蹴りつける。
「乗馬がしやすいよう、浜をちょこっと整備するといい、なんて奥さまがつぶやいただけで、あっという間に作ってみせたわけか」
 砂浜の高いあたりは、砂が乾燥していてサクサクと崩れやすく、初心者には少し怖いのだ。大回りだがなだらかなこの浜辺道なら、下手な乗り手でも砂浜の平坦なあたりまで、楽におりて行ける。
「カルサレスの本意を探るためとはいえ、ご苦労なことだ」
「ええ、苦労してるのよ」
 私は砂浜をぐるりと眺めたが、貴族たちがかたまっているあたりからは、つい顔をそらした。
「卿は赤毛の女がお好みだと噂に聞いて、みな私に髪を結わせないの。長く垂らしていたほうが、まだ茶よりは赤に近く見えるから。どうしてお前にこんなことまで話してるのかしら」
「さてね」
 ベレンツバイの黒鹿毛が砂を蹴散らしている。傾斜のあがり端(はな)で少しもたついていたが、勢いよくのぼり始めた。
「正体を明かそうとしない相手というのが、こんなに気が楽だとは知らなかったわ」
 今は、一族の者や召使いに囲まれているのがとても苦痛なのだ。皆それぞれの立場から、勝手な助言を私にくれようとする。
「お前は、本当にどこかの間者なの?」
 応答はない。
「ヴールユの四姉妹には、赤毛のかたがおいでかしら?」
「さて、そこまでは」
「間者にしては情報が半端だこと。けっきょくお前は、雇い主をくさしてヒマをつぶしたいだけの、しつけの悪い従者?」
 男がぷっと笑った。
 お追従ではなく、笑いたいので笑った。私が可笑しいことを言ったので笑った。それだけのことが、お腹の底を、妙にふわりとした気持ちにさせた。
 馬みたいに血統と毛ヅヤを品評されて、私のほうが競り負けたら、こんな風にただ笑いとばしてくれる誰かが、私をさらいに来てくれないだろうか。おやおや。まるで吟遊詩人の唄のよう。
 男の背中を眺めながら、私はひとりでニヤニヤした。ついでだから、この抒情詩のあらすじをもう少し練ってみようか。奥さまの馬が、もう砂浜の最後の起伏を超えている。
 この男は放浪の吟遊詩人なのだ。運命の姫君を見つけ、馬丁のフリをして邸宅にもぐりこみ ―― 陳腐だ。語り部がこんな物語を始めたら、小銭を投げて退がらせることにする。
 風にほどかれ始めた髪を、くしゃりとつかまえた。
「カルサレス卿がこれまでに見初められた女の髪は、私よりよほど赤いのかしら」
「さてね」
 黒鹿毛はすぐそこまで来ている。
 男はほとんど口を動かさず、ぼそぼそとくぐもるような声で話したが、最後の言葉は、私の耳に嫌にくっきりと残った。
「お姫さんのももう少し赤けりゃ、世間じゃ赤毛と呼ぶでしょうがね」
「レディ・カタシア!」
「はい」
 馬がまだ走っているうちに奥さまはひらりと鞍を離れ、砂浜に降りた。
「いかが? 痛みはまだ?」
 きびきびと砂をかけ寄る。
「はい、あの」
「まあ、両方のお目から涙が。さあ、急いで冷やしましょう」


 馬から助けおろされ、ヴェールをほどいたり濡らした布を目に当てたりと、私があれこれ世話を焼かれているうちに、謎の男はいつの間にか姿を消していた。
 涙はなかなか止まらなかった。

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