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赤毛姫の憂鬱(4)

 私は鞍の上にまっすぐ座っていた。
 目を閉じていると、砂を蹴って遠ざかる黒鹿毛のひづめの音が、まだかすかに耳に届く。
 潮風がびゅうと鳴った。
 眠たくなるような波音が、のったりと寄せては返し、ぶち馬が浜辺道のうえで足踏みをして、ぼこんという合いの手を入れた。
「で、どうでした」
 男の声に、私は目を開けた。
 砂浜のはずれでは、戻ってくる黒鹿毛に気づき、従者たちがわらわらと動きはじめている。
「卿は、湖沼地帯にも足を伸ばされるそうよ」
 私は背すじを伸ばしたままつぶやいた。
「やっぱりね」
 目だけ動かして見下ろすと、ふかぶかとかぶったお仕着せのフードのしたに、ニヤリと笑う馬丁の口元だけが見えた。
 馬丁は私の足の先あたりに立って、ぶち馬の鼻づらをさすっている。
「滞在先は、ヴールユ伯爵家あたりだ。違いますかね?」
 私はぐっと息を飲んだ。それが答えになったようだ。
「はは。あそこは女ばかり四人もいて、片付け先に困ってる」
 馬丁がゆらりと顔をあお向け、フードのかげから男の可笑しそうな瞳が、一瞬だけのぞいた。
 私は慌てて視線を前へもどした。
「珍しい鉱脈が出て、その視察だそうだけど」
「だが、このエジマへの訪問だって、名目はそんなようなものだったんでしょう。古いダシートの時代の、骨董品が見たいとか何とか」
 そのとおりなのだ。私はまた黙った。
「あっちこっちで名家の令嬢を品定めしてる。飛ぶ鳥をおとす勢いのカルサレスとはいえ、うらやましいご身分だなあ」
「お妃えらびだもの、普通よ」
「普通ねえ。しもじもの身には、わからんなあ」
 男がさらになにか、冗談めいたことを言いかける。
 私は鋭く声をあげた。
「もうやめてちょうだい、そんなお芝居」
「なんのことです」
 私はイライラと片手を振った。
「この、“ちょっと事情通の馬丁が、なにも知らないお嬢さまにゴシップを提供する”みたいなお芝居のことよ」
「おやおや」
「お前、馬丁でも何でもないのでしょう?」
「なぜそのような」
「なんとなくよ」
 男がふっと鼻で笑ったような気がして、私は慌てて他の言い方をさがした。
「お前 ―― 召使いという感じがしない」
 こんな風に話しかけてくる男の召使いなんて、少なくとも私の周りにはいなかった。
 男はしばらく黙ったが、やがてすっと胸に片手をあて、頭をさげた。
「雇われまして日が浅く、ふさわしい振る舞いが、まだ身についておりませんので」
 私は砂浜のはずれをにらみつけた。
「私、今日の従者の数をかぞえていたのよ。屋敷からついてきた者は、あっちにいるのでぜんぶだわ」
「ほう」
 お仕着せのフードがぴくりと動いた。
「そのへんのやぶにでも潜んでいて、あとからそっと紛れこんだとでも?」
 頭をちょっと横手へ傾け、男は背後のやぶを示した。
「蟻の這いこむ隙間もないというほどではないが、砂浜のまわりは護衛の者が巡回していますよ」
「ベレンツバイの馬丁とそっくりのお仕着せを着て、あとから追いついたとでも言えば、護衛はきっと通してくれるのじゃないかしら?」
 男はこちらに背中を向けながら、フードのかげでニヤリと笑ったようだ。
「本当に、あとから追いついてきた、ただの馬丁かもしれない」
「それはそうだけど」
「そうまで疑っておられるのに、なんでまた私を告発なさらないんで?」
 馬の首に手を沿え、男は少し頭をかしげて砂浜を見ている。遠目からは、所在なさげな馬丁そのものに見えるだろう。
「それこそ、そのやぶに向かって呼ばわればいい。護衛の兵が飛んで来る」
 気楽な調子で話しながらも、私に向けた背中は、ぴんと張りつめているように思えた。
「偽の馬丁だ、どこかの間者だ、浜あそびに来るたびつきまとって、湖沼地帯についてベレンツバイの奥方にたずねてみろなどと、意味のわからないことを吹き込まれたってね」
 今度は私が黙り込んだ。
「“湖沼地帯”に、意味はちゃんとあったわ」
 ぽつりと言うと、男は「そうだろう」とばかり、ちょっと肩をそびやかした。
「より格式高く、血筋は古く、衰えちゃいるが、味方にできればダシートの名もかすむような家系、という意味がね」
 湖沼地帯のヴールユ家に通称として残る“伯爵”という古い称号は、ダシートに滅ぼされた前王朝時代のものだ。正式な呼称だと言ってエジマがどれだけ長い名前を名乗ろうが、古さでかなうものではない。
 私はまたむっつりと黙った。
「ふうむ。で、こうして待っててくださったのは、読みが当たったとお褒めの言葉をくださるためで? 綺麗なお目を赤くなるほどこすってまで」
 私は視線を遠くに投げた。
 砂浜を、奥さまの乗った黒鹿毛が、今度は従者たちを従えて駈けのぼってくる。
「ただ、なんだか …… もう一度お前と話してみたくなったのよ」

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