男は黙って
  
(4)
 デスメタル系の出囃子に乗って、僕らは妄執渦巻く煉獄の舞台に立った。
 僕は導入部であえてすべてのキーワードを並べてみせた。モタモタした前フリは不要だ。代わりに後半をふくらませ、ボケの要素を増やした。「つげ塗装」をなぞるおかげで浮かんできた要素が色々ある。
 勝史は棒読みながら淡々とセリフをこなした。テンパってるときの勝史の暗記能力は、某猫型ロボットのくれる食パン並みだ。予備校時代、「小テストって今日だっけ!」から始まる脅威の丸暗記を僕は何度も目撃している。いいぞ。「つげ」の二人がドスを効かせて張り上げるばかりだった一本調子のボケを、うんとなぞってやれ。
  ――― なんかそれ、さっき聞いたけど!
 そうツッコんでから、僕は今のセリフが言葉として口から出ていなかったことに気づいた。
 マズい。また腹の中だけでツッコんじまった。遅れた。コンマ二秒ほどか。そんなことを考えているうちに、僕はこのセリフでツッコむベストのタイミングを逃したことを悟った。
 勝史がこっちを向いた。ブサイクだ。
 それが分かるのは、僕も勝史を見ているからだ。ステージ上で僕らは、センターマイクをはさんで見詰め合っているらしい。
 そんなことを腹の中でばかり悟っているうちに、勢いでなんとかできるギリギリの限界が過ぎ去った。ということを、僕は悟った。
 時が見える。
 パラパラに乾いた砂の粒が、広大な斜面を流れていき、僕らは砂時計に飲み込まれていく。
「なんかこれ、さっき聞いたね〜」
 囁くようなトーンで、勝史のへなへなの声がした。それから顔じゅうの皮膚がいちどきに圧縮される感じがあって、それが大勢の人の笑い声なのだと、僕はたっぷり一秒かかって理解した。
 ウケてる。
 ネタがかぶってることを僕が無言で示唆した、それを勝史が恐る恐る確認したように見えたんだ。笑いが生まれてる。
 爆笑はほんのひと呼吸で収束した。僕の口はようやく呪縛から脱していて、そのまま機械的に次のネタフリに入った。
 僕のフリを受けて、勝史がボケのセリフを言い終える。
 もしかしたら。
  ――― それもさっき聞いたけど!
 もう一度、僕は腹の中だけでツッコみ、セリフを飛ばした。
 ゆっくりと、僕らが目を見合わせた時点で、もう客席が沸いていた。
「これも、さっき聞いたね〜」
 一回目と同じ口調をキープする勝史に合わせ、僕もわずかに身をすくませてみた。「かぶっちまった」という僕らの呼吸が、まっすぐ客席に届いてるのが分かる。
 言葉以外の、空気みたいなものを、お客に伝えて、確かな返事を受け取った。
 お金をもらう舞台に立つようになって、初めての経験だった。
 視界をフチ取る煉獄の炎が、誕生日ケーキのロウソクみたいにチカチカ輝いていた。


 僕らはすごく怒られた。
「『つげ塗装』とセットでなきゃ、あれだけの爆笑が起こってる意味が、視聴者には伝わらないだろう!」
 「つげ塗装」がカット候補に入れられていたという意味ではなく、僕らの行為が構成に干渉したってことが問題らしい。
「放送するかしないかを決めるのは、こっちなんだよ!」
 黄色がかった妙な茶髪のディレクターは、「こっち」という仕草で壁を作ってみせた。
 某国営放送のネタバトル番組とは違い、この「煉獄の中心で愛を叫べ」では、観客の人気投票はあくまで添え物だ。ファン投票が高いばっかりでネタがつまらない芸人はいっぱいいる。だからこの番組で合格になったのならそれは、「お前らの芸はテレビ向き」というプロの太鼓判をもらえたってことだ。
 収録後にこうして呼び出され、叱責を受けている僕らのテレビ的な評価は、まあ推して知るべしってとこだろうか。
「本当にすんませんでした!」
 ADの爾下(にした)さんは、僕や勝史や事務所の社長よりも前に出て、何度も頭を下げてくれた。


 「煉獄」放送日の二日前、格闘技ファンの男が、別れ話のもつれから交際相手の女性にドロップキックを当てて大怪我させるという事件が起きた。女性がストーカーめいた行為をしていたとも報道された。
 設定があまりに酷似していた。
 オンエアで、「あおみどろ」のエントリーは丸々カットされていた。
 僕ら「カラッケツコロッケ」のネタは放送された。元から合格ラインだったのかどうかは分からない。
 「あおみどろ」は会場人気投票一位だった。一位の受賞コメントごと空いてしまった時間枠を埋めるのに、「つげ塗装」とのセットがちょうどよかったせいかもしれない、そう思っておけと、社長が言った。