男は黙って
  
(3)
 善玉悪玉の線引きが微妙になった現代では、戦隊ヒーローも大変だ、という「つげ塗装」のネタは本当に僕らと同じ流れで、わりとウケていた。
 全き勧善懲悪を探し求めたヒーローは、安心して非難できる鉄壁の黒幕、地球温暖化にたどりつく。移動は常に自転車。正義のボンドでエアコンの温度設定ボタンを糊づけ。電気つけっぱなしのトイレに男泣きの涙。地球を守れ、遠まわしに。
 深夜枠とはいえテレビってことで、入り口はあまりマニアックにしなかった。だからかぶったりするんだろう。それでもときどき知名度の低いものをはさんだりする。客席の一部から「あー」と声があがった。知ってる人だけ笑うパターンだ。やりたかった。やりたかったのに。
 コワモテの「つげ塗装」が語る子供向けヒーローショーの世界は、見た目とのギャップからか、ベタな流れにもかえって笑いが起きた。僕らには後半「電気自動車が通るといい笑顔で見送る」とか「カノジョからのラブレターが非再生紙で苦悩」とか、独自の展開がある。やりたかった。僕らが先にやりたかった。
「僕らは僕らなりにやろう。それしかないよ、ぎっちゃん」
「ん」
「面白ければ放送されるんだから」
「だな」
 ネタの入り口が同じで、「結局エコにうんざり」というオチが同じ。「あーあ」という空気になるのは目に見えている。ベテランならまだしも、養成所を出て二年も経たない僕らに、しゃべくりだけでそんな重たい空気を跳ね飛ばす力量があったら、そもそも大阪の巨額賞金コンテストで地区予選落ちなんてしただろうか。
「ごめん。僕がスタンバイフロアになんかいたからだ」
「雰囲気に慣れときたかったんだろ。いいよもう」
 かぶってるのを知らないままやれていたって、スベることに変わりはない。言ってもしょうがないことばかりで、僕は勝史と並んでしゃがんだままモニターを眺め続けた。
 ネタを終えた「つげ塗装」がそっと肩を叩いていき、次の収録グループとして呼び込まれた「VCR」が「どうした、抜け殻んなって」と心配してくれた。


「いったん止めまーす! モップー!」
 収録がストップしたようで、駆け回る人の動きが急に激しくなった。
「すんません、すんません」
 べったりしたオールバックの男が平身低頭している。小道具を詰めたプラスチックボックスを半泣きで抱きしめているのは、確か「グッジョブぱんだ君」とかいうピンの人だ。巨大な地毛のアフロヘアをポマードでどんどん作り変えながらモノマネをする。営業の舞台でこの人のあとに出て、「ポマードくさっ!」と叫んでウケたことがあった。
 僕はよろよろと立ち上がった。ずっとしゃがんでいたせいで膝が固まってる。ソデ近くまで歩いていくとステージが見えた。演者スペースの上手(かみて)側にスタッフさんが集まり、這いつくばって床を拭いていた。
「すんません、すんません」
 ポマードの缶を捧げ持つようにして、「グッジョブぱんだ君」は何度も頭を下げている。ベタベタになった缶はほとんど空っぽで、どうやら舞台上でポマードをぶちまけてしまったらしい。髪がもう毛先までテカテカだから、最後の「大河ドラマ女優シリーズ」までは行けたかな。自分のポカで撮り直しなんかしてもらえないから、なんとか自力でネタを終えたのだろう。
「再開しまーす押してまーすよろしくー!」
 よく分からない掛け声だが秒刻みであるという切迫感は伝わる。ポマードの後始末を終えたスタッフさんたちが慌しくはけた。
「うわ、全然残ってるな」
 ソデ待機のADさんが顔をしかめた。「グッジョブぱんだ君」は早変わりが持ち味で、ポマードは伸びがいいようオイルを混ぜてゆるくしてある。モップや雑巾ではかえって油分を広げてしまったらしい。
「気をつけて。上手側でテラテラしてるあのへん、見えるよね」
「はい。大丈夫です」
 ADさんに肩を抱かれてうなずいたのは、「あおみどろ」の二人だった。
 センターマイク周辺が無事ならいいってわけないだろう。あれだけのスペースが使えないとなったら、彼らのドロップキックネタはどうなる。
「回りまーす!」
 お構いなしにカウントが始まった。「あおみどろのボケの方」は舞台の先を睨みながら、「ちっちゃい方」に頭を寄せた。
「あのへん狙え」
「え。狙う、狙うんか?」
 やかましい出囃子が鳴って、あとの会話はかき消された。僕は夢中でモニターの前に走った。


 ネタしょっぱなのキック。快調にすっ飛んだボケはポマード地帯を避け、かなり早めにブレーキをかけた。そして二度目、ライムグリーンの人間大砲は、狙い違わず油ゾーンに突入する。
 一度目のキックと比べるから、ある場所でぐんとスピードが上がるのが分かる。高速で滑りながら、ミニスカートの男は抱え込むように体勢をひねった。あまりの勢いにぐるんと起き上がる。余勢で回転しながらの着地姿勢は、なぜか忍者のように片膝をついていた。
 観客がどっと沸いた。直前の「グッジョブぱんだ君」のトラブルをピリピリと見守っていた空気が、一気に弾けた。
「お前、なんでちょっとカッコええねん!」
 活きのいいツッコミがすかさず拾う。
 カップルの修羅場ネタという本筋に、収録現場のライブ感がぴたりと同調していた。
 スライディングは何度も同じ場所に向けて放たれた。二人が罵り合いながらわずかに間(ま)をタメるだけで、「あそこに向かって滑るぞ」という期待感が客席を満たした。着地でボケが勢い余り、ツッコミが踊るように足を取られ、結局ふたりとも油まみれで転倒する。客は波打つように笑った。
 彼らは不測の事態を味方につけた。
「すげ ……
 僕はモニターからゆっくりと後ずさった。舞台セットのそこここで、煉獄の炎が踊っている。
 あれは作り物じゃない。細く吹き上がって舞台を走り、僕らは野火に焼かれてしまう。真剣勝負だ。自分の力で風を起こして、火を払え。
「かつ、おい」
「んう」
 勝史は首だけで振り返った。ブサイク具合はもう確認するまでもない。僕は紅蓮の炎だけを見ていた。
 今日この日、この場にいるこの客を、フルに笑わせるためにどうするか。
「ネタ変えるぞ」
「え、でも他のじゃ全然ダメだってぎっちゃん ……
 勝史はしゃがんだまま絶句している。
「他のじゃない。今作る」
「作る? 今?」
 僕はあたりの床を見回した。A4サイズの紙が散乱してる。
「作る。今。さっきの『つげ塗装』のネタに、かぶせてく」
 紙は今日の番組の進行表だ。スタッフ全員がコピーを持っている。収録を終えて用済みになったページだ。
 僕は低い姿勢で歩き、床から数枚拾い集めた。裏が白い。
「ペン借りて来い」
 真っ白な紙を睨んだ。さっき聞いたばかりの『つげ塗装』のネタが、腹の中でゆっくりと再生され始めた。