男は黙って
  
(2)
 スタンバイフロアは収録スタジオの中だ。
 収録の進行なんて知らされない僕らは、防音扉には鼻息もかけるなとの注意を受けている。
 忙しそうなスタッフの背後霊になって滑り込んだ僕と勝史は、ガランとした空間を駆けた。観客席も含めた舞台セットは巨大なスタジオの向こう半分に建て込まれていて、余ったスペースが出番直前の出演者のための待機場所になっている。
「あの、つげさん! あの!」
 勝史が呼びかけると、二人組が向かい合わせに振り返った。ダボッとしたヒップホップ系の衣装に、鏡に映したような立ちポーズ。惜しい。坊主かドレッド、髪型をどっちかに揃えればロールシャッハテストができるのに。
「ああ、さっきの何とかコロッケの」
「相方連れてきたの? 別にいいってぇ」
 コワモテのいとこ同士コンビ、「つげ塗装」の二人はうるさそうに片手を振った。
 彼らがネタをさらっている一部始終を、勝史はかぶりつきで注視していたらしい。そこへつげ・坊主が「何オチまで聞き耳立ててんだ。お前、どこチューだ」と凄み、続いてつげ・ドレッドが「ニイちゃん怪我したくなかったら消えな。コイツ西校の狂犬って呼ばれててさ」と割って入った。のではないと思うが似たような緊迫シーンを経て勝史は追っ払われ、平謝りに謝りながら彼らと別れたのだった。
 謝られ慣れた彼らは、相方の僕がダメ押しの謝罪に来たと思ってる。
「名前はぁ」
「根岸」
 です、と言いそうになるのを何とか飲み込む。もうまんまツッパリコントができるオーラを持ってるのに、なんだって僕らと同じ正統派しゃべくり漫才なんか目指すんだ。学ラン着てベタな金八コントでもやっててくれたら、ネタの要素がかぶってもまだ切り口は違って見えたのに。
「あー、ねぎっちゃんさぁ。いいよもう。あとで聞くから」
「オレら出番も近いんで。ナーバスんなってっから」
 取材拒否する大物ラッパーのように片手をあげ、坊主とドレッドは行ってしまった。
「ぎっちゃん。どうしよう」
 勝史の顔はブサイクさの極北に到達しているから長く凝視してはならない。僕は傍らのモニターを見た。
 本番の舞台が見える。ごつごつした岩場のセットだ。燃えさかる炎の意匠が一面に配されていて、僕らは煉獄の底でうごめくお笑い亡者というコンセプトらしい。
 巨額の優勝賞金が売り物の大阪のコンテストとは違って、この番組には予選がなかった。五〜六十組の芸人がとりあえずネタをさせてもらえるのだが、収録だけしておいて、ウケれば天国、スベればカットという厳しく狭き門。小さい小屋でしかネタをやったことがない僕らにとって、テレビに映れるめったにないチャンスだ。放送してもらえるのは二十組足らずだろうか。どうしても、その中に入りたい。
 気づくと僕はロールシャッハのシルエットに追いついていた。
「つげさん」
「だぁから何よ」
 ナーバスな狂犬を刺激するのはとても怖い。せめて「ですます」でしゃべっておこう。
「僕ら、ネタがかぶってるらしいんですけど」
「あぁ?」
「いえ、いいです」
「ぎっちゃん」
 そもそも彼らに何をどう言えばいいんだ。有り金出してここは許してもらおう、逃げよう勝史。黙り込んだまま、僕が不良カツアゲコントの世界へ逃避していると、
「すいません、ニシタさぁん」
 野太い声をあげ、つげ・ドレッドがフットワーク軽く駆け出した。現場スタッフのひとりを追いかけている。僕らも慌てて続いた。
「え。何、かぶってんの、どの程度」
 ドレッドが呼び止めたスタッフは、リハーサルのときに僕ら有象無象をまとめて色んな説明をしていたADさんだ。僕は名前までは覚えていなかった。
「あの、わりと流れがずっと …… で、オチまで」
 勝史はあたふたしつつも身振りをまじえてキーワードを並べてみせた。
 ニシタさんは「わー」と言って若白髪まじりの頭をがりがりとかいた。
「ネタ見せでチェックできんかったかあ」
 予選はなかったが、テレビに出たことのない無名の若手五十組ということで、どんなネタをやるつもりなのか、事前に簡単なネタ見せがあった。危険な小道具を使ったりやたら脱いだりというあたりを注意するためらしいが、なんたって大人数だ。何人ものスタッフが手分けしてさばく中で、細かなネタの吟味なんてされなかったのだと思う。
「ボクら、ダイジェストで三本見てもらったんすよ。まだどれをやるか決められなかったもんで」
 そう言ってつげ・ドレッドは小さくかしこまった。
 僕は唇を噛んだ。三本。僕らは満足できる仕上がりのネタなんて、これ一本しか作れなかった。
「すんません、なんか」
 つげ・坊主も一緒になってうなだれている。やめてくれ。自信作を三本も用意できたってことでそんなに謝られたら、僕はどうすりゃいいんだ。
 ニシタさんはすっかり同情した様子で、気づかうように坊主とドレッドをのぞきこんだ。
「それ、差し替えられるか?」
「いや、もうムリっす。次の次だし」
 ニシタさんは僕らを見た。
「君らは? 他のあるか? 差し替えてもいいよ」
「えっと、ネタ見せに持ってったのはこれ一本で」
「そうか。『カラッケツコロッケ』は ……
 ニシタさんは丸めた進行表の束をわさわさとめくった。
「出番はまだあとだな。うん、そうあからさまに連続でカブるってわけでもない。大丈夫だよ」
 「大丈夫」の定義は、僕とニシタさんのあいだで大きく食い違った。
 観客は制作側が報酬を払って動員したイベント観覧者だから、時間が押しても文句を言ったりしない。生放送じゃないから、トラブルがあれば収録はいつでも止められる。でもそれはよっぽどのときだけだ。全く違う五十以上の演目をスムーズに収録するという離れ業を前にして、僕らのネタがかぶってるなんて問題は、きっと本当に小さいことなんだ。
「面白い方が放送されるってだけだ。そういう番組だろ。気にせず頑張れ」
 ニシタさんはそう言って走り去り、僕と勝史とドレッドと坊主は、「はい」と言って見送るしかなかった。


 わーっと拍手が起きて、ネタを終えた芸人が引きつった顔でソデに駆け込んできた。すでに次のコンビが、中腰のADさんに寄り添われて待機姿勢を取っている。「つげ塗装」の出番はもうこの次だ。
 視界の斜め上から、ドレッドが額を寄せてきた。
「ごめんな。俺ら余裕ないから、このまま行かせてもらうわ」
 禅寺の石庭のような編み込み模様に圧倒されながら、僕は「いいんです」とだけ言った。
「カズ兄」
 坊主が蚊の鳴くような声で呟いた。
「大丈夫、いつも通りいつも通り」
 そう励ますドレッドの声も、少し上ずっている。
 コワモテの彼らだって、僕らと同じペーペーの若手なんだ。出番前に関係ないことで動揺させてしまった。
 僕は申し訳ない気持ちで一杯になって、彼らがせめてトチりませんようにと心から祈った。