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『bird’s eye view』(2)
×××

 私は記憶データの走査を終了した。
「で …… 。どうですか、フィンガー」
 診断を仰ぐ患者よろしく尋ねるので、私も医師らしくひと呼吸置いた。
「そう悲観することもないようだがね、ツリー」
「どうしてこんなことになったのか分からない!」
「どうしてあんなことになったのか。あなたになら分かるんでしょうか、フィンガー」
「もちろんだとも」
 途中で割り込んだバードの悲鳴は、うっかり再生してしまったリプレイデータだ。
 ツリーの記憶を追体験するシンクロダイブに、私はまだ少しクラクラしていた。ようやく自分の操作システムの展開場所を思い出す。
「ちょっとした調整で済むはずだよ、ツリー」
 呼びかけコマンド「ツリー」とはすなわち発着管制コンピューター。彼は自ら能力不適合を報告していた。そして私がやってきた。
 私は偏向検出プログラム。ツリーのように、大量の情報処理を並行して行える重階層コマンドは持っていない。演算速度を比較するなら、初見の原稿を読み、訳し、伝えるをいちどきにやってのける同時通訳と、一行一行を人さし指で押さえながら読み下す音読者くらいの差があろうか。
 ポインティング・フィンガーという私のプログラム名に、そんないじけたネーミング意図が込められているわけではなく、ゆっくりでも確かな精度をもって私が指さすのは、いわゆる「蝶の最初の羽ばたき」だ。誤差とも呼べないようなわずかな偏向が集まり、相互に作用して、あっという間の大嵐を引き起こすことがある。
「君ほどの巨大頭脳になると、ツリー、作業の誤差はほとんどない」
 この「ほとんど」がくせものなのだ。容量の不足が起こればいつでも階層を上げ、事実上無制限に下位部門の枝葉を増やしてしまえるツリーの処理能力には、そもそも上限という概念がなかった。全知全能のように見えるその裏で忘れてならないのは、上層意識が高みへ上るほど、裾野も相対して広がることだ。下位頭脳における誤差の許容ケタ数は、コンマのあとを無限に駆け下っていくことになる。目指すところは「無謬」だ。
「神のごとくあらねばならない、と思い詰めるのもむべなるかな」
 問いの答えをすべて手にしているという万能感と、無謬であれという要求。そのふたつがせめぎ合い、ギリギリの均衡をなしているあいだだけ、ツリーも神として振る舞うことができる。条件付きの神の背に、最後の藁の一本が置かれるまでは。
 私は演算ログの一点を指さした。全く異なるふたつの命題が、そこから数千万行にもわたって並走している。
「新航路関連の作業のすべてにおいて、君の元々の優先順位が反論しているんだ。そのたび容量の不足が起こった。君は階層を上げ、無謬要求が高まり、おかげで航路の精度は研ぎ澄まされたが、慢性的な容量不足に君はうんざりしていた。遠回りの迂回航路と君は、根本のところで反りが合わなかったのさ」
「そんなことのために、貨物コンテナの互換性を見過ごした。センサーのチェックに手を抜いた ……
 ツリーはしおたれて、すっかり告解気分だ。私は上から物言う質(たち)ではあるが、神の赦しと苔打ち罰を与える権限は持たない。
「君はただ、発着能率の低下を回避したんだよ。ツギハギだらけの新航路が発着量の足を引っ張るなら、就航機のほうのギアを上げるしかない」
「同じことのように思えます、フィンガー。安全より能率を優先した私は、やはり管制官としてふさわしくない」
「いやいや、よくやってる」
 辞意を表明したもののいきなり仕事を投げ出すわけにもいかず、頭脳スペースの隅で私と接続しながら、八面六臂のツリーは今も鳥たちをバンバン打ち上げている。自己嫌悪中ということで、普段よりセーブしているのだそうだが。
「何も、君の存在そのものを否定することはないんだ。こんな風に」
 ツリーは自分を細かく切り離し、独立頭脳の集合体に変える新管制プランを提案していた。部署ごとの権限を強めた青写真は、見る限り群雄割拠、まるで戦国時代だ。平和主義者の私は、否と言うほかない。
「そりゃバード一機一機のメンテナンスは念入りになるだろうが、荷物一個発送するのもやっとということになるだろうね。扱いにくいお山の大将たちが常に角突き合うんだ」
「そうでしょうか」
「緊急時上位という断りなしで、同レベルの独立体、例えばスケアクロウあたりとスムーズに協調できるかどうか、考えてみればいい」
「ですが、こうする以外 ……
「今度のことは、君の中でのプライオリティの問題に過ぎないよ。より多くのバードを飛ばすことが、君の最優先事項だった。そうだね?」
「ええ。旅のデータが欲しくて」
 ツリーのキャラクターには、飛ぶことへの憧れが強く動機づけられている。せっせと鳥を送り出せば、よりたくさんのご褒美が手に入るというわけだ。
「君の報奨ロジックを、ほんの少し書き換えることにしよう」
 すでにツリーの中で、空への闇雲な憧れは、深く大地を知った経験により多少脇へ追いやられていた。私はその変質を定着させるだけでよかった。たんぽぽの綿毛一本ほどの振れを、慎重に抽出する。ほんの少し。
「ほんの少しね。君があまり大幅に空への興味を失っては、鳥たちがくさるから」
 行動動機は持ちつ持たれつだ。帰郷した鳥たちが、誇らしげに旅のデータを差し出すとき、お土産には「わあい」と応える声が要る。
「いいだろう。じゃあこれ」
 私はむく犬のイメージを取り出した。ケージから放し、そこらを自由に走らせてやる。
「新たな書き換え事項はすべて、このマークに定着させたから。もしまた君が調子を上げすぎるようなことがあったら、ワンワン吠えて地上に引き戻してくれる」
…… はい」
 コロコロ駆け回る子犬は、ツリーにとって胸を突き刺す図像のようだ。しかしこちらとしても譲歩は精一杯だ。バードの飛行禁止措置は居住区に近接する部分にまで広げたし、旅客ゾーンのチェック基準は倍に引き上げた。これだけでも発着量の低下は甚大なのに、子犬どころか生あるものすべてに魅せられてしまったツリーが、ネズミやカエルやぶんぶん虫や、オケラだってミミズだってとあらゆる命を悼んでいたら、検疫所でのバクテリア殺菌もままならない。生体に関する安全レベルは人間から始まって、適用するにしても子犬サイズまで。これはマークを見るたび肝に銘じてもらわねばならない。
「ありがとう、フィンガー」
 ツリーは大人しく子犬にあちこちを嗅がせている。
「農業区に頼み込んで養蜂フィールドに墓を建てさせてもらうより、ずっといいです」
「いや、まあ、気に入ったんならよかった」
 子犬の死の遠因である私は、早々に木陰を辞した。


 一つきりの命を守るために、生き物たちは競争する。餌場を奪い合い、なわばりを巡って争い、敗れては消えていく。
 生存競争を勝ち抜くため個別優遇商法を取ったタニマノツユクサだが、何かの変動でハイイロアナバチが激減するようなことがあれば、特殊な蜜嚢を持った彼らも共倒れするしかないだろう。あとにはあまり顧客に特化しすぎない、危機に対して打たれ強い種が台頭する。繰り返しだ。
 貿易活況期を迎えた文明の経済活動も、似たような道を辿るのだろう。競争なくして文明の前進はない。
 しかし、人類のなわばり争いはタニマノツユクサのようにはいかないのが常だ。域内保護だけを目指した排他的ブロック経済はいずれ行き詰まり、武力による格差解消の火種となるだろう。
 ある日の私の精査担当に、バード新機設計者の計算機があった。
 私は指でそっとひと押しした。設計者は、友好経済圏へのサービスに特化した狭量な設計方針を捨て、より幅広い対応が可能な規格を採用した。
 修正し忘れた取りこぼしの中に、貨物室のコンテナ固定方式があった。ラッチの固定に、合うものと合わないものが残った。メンテナンス時に不具合を拾うべきツリーはたまたま新航路に忙殺されており、そして事故は起こった。


 どれも言い訳だ。ツリーに言わせれば「驕り」だろうか。
 しかし物言いが偉そうなのは元からで、私は自分の身の程は知っている。例えば私に予言はできない。
 かなり昔の話だが、空中に不思議な指が現れて、王宮の壁に破滅の予言を書き付けたという。同じ一本指だといって、そこまで派手なパフォーマンスは期待しないでほしい。予言には広範なデータ解析が必要で、私はツリーの鳥瞰データにさえクラクラしてしまうのだ、未来への遠望など知らない。
 私が指し示すのは、小さな変数の中に嗅ぎ取れるばかりの、ささやかな可能性だ。
 遠い過去、といっても予言の指よりは歴史の近いある日、私は自分の最奥部に指を当て、わずかにひと押しした。
 蝶の羽ばたきが起こった。
 軍公安の不穏分子検出プログラムだった私の中で、羽ばたきは少しずつ連鎖した。ふわりと巻き上がり、ひと処に集まってうねり、風は次の風へと圧をつないだ。バラバラだった小さな暴動が互いに集まり、やがて政府転覆の一大勢力となるように。
 私は長い年月を掛けて変質を重ねた。最初のかすかな平和主義的偏向は各所で相互に作用し、疑心暗鬼的に情勢を深読みする心理は徐々に影を潜めた。それは私が関っていないはずの敵対勢力のふるまいをも変え始め、ある日、決壊するように停戦命令が下った。世界じゅうで、いちどきに。
 前線を撤退の指令書が飛び交い、熱にうかされたような自主的武装解除が続き、我も我もと講和宣言が乱立した。熱狂はまとまりに欠け、しらふで読める和平条約を整えるだけでも目の回るような忙しさだったが、「こりゃまるで戦争だ」とは、誰も言わなかった。


 どんな忙しさも、戦争とは似ていない。私が多少自信を持って言えるのは、まあこういうわけだ。


(bird’s eye view おわり)

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