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『bird’s eye view』(1)  作 / 歩く猫
 まるで戦争だ、とか。さながら野戦病院、とか。忙しさを表現する慣用句は、なぜか戦いのイメージを重ねられていることが多い。
 平和主義の私は、こう言おう。
 まるで、急な航路改編と貨客船バードの機種入れ替えが重なった、貿易活況期のとある週末のようだ。
 惑星間航行千年の歴史を通じ、地上管制を一手に引き受けてきたシステムツリー型管制頭脳が言うのだから、用例としてこの忙しさを上回るものはないと思う。
 新しい航路網は完璧に練られている、との触れ込みは嘘っぱちだった。乗り継ぎ上重大なバグの発見は後を絶たず、常に後手後手の調整がかかっている状態で、どこかのサボり屋のせいで手抜かりがあったもの、熱心すぎる調整屋がせっせと上げてくるもの、雨あられと仕事が降り注ぐ。それらを重要度別に振り分け、ズレ込んだ航行予定時をダブルチェック、その確認をまたダブルチェック、そんな中で船艇の新旧交替が行われたバードの就航手順は軽く混乱しており、積もり積もった発着の遅れを許容ギリギリで何とか乗り切ったある日、鳥が貨物を落とした。


×××


「どうしてこんなことになったのか分からない!」
「鳥くん、落ち着いて」
「分からないんだ! ラッチは自動でロックされるだろ?」
 彼が言いたいのは「なぜ自分がこんな目に」ということであって、なぜそれが起きたかは分かっている。旧型の貨物コンテナの中には新機との相性がよくないものがあり、磁気ラッチの引っかかりが甘く、たまたまセンサーの警告が最適に繋がっておらず、二度の大気圏突破でとうとう曳き綱を離れたコンテナは、そのまま破城槌のように機体を突き破ったのだ。
 バードの航行コンピューターはさっきから狂ったように接続を要求し、メンテナンス記録を何往復もしている。起きてしまったことは取り返しがつかないし、問題の箇所はもう全システムにパッチを済ませた。これ以上ポケットの穴に指を出し入れしていても意味がない。
「今できることをやるんだよ、鳥くん」
 私は強制的にコマンドを割り込ませた。話の途中で、まだ交信終了を宣言していないバードは虚を突かれて押し黙ったが、貨物は生体コンテナ。すやすや眠る宝物をしまい込んだ冬眠用コクーンが、高度千メートルをヒューと落ちていったのだ。交信作法の折り目に気を使っている場合ではない。
 うるさい一斉検索が鎮まった。ようやく上層意識のすべてを集中できる。鳥くんの航跡と、緊急隔壁が作動した時間とを照らし合わせると、コクーンが落ちたであろうおおよその範囲を割り出せた。
「助かった、誰もいない」
 落下推定範囲はすべて、広大な、広大な農業エリアにすっぽり収まっていた。完全無人地区で黙々と農作業をこなすカウボットを、私と同じような巨大コンピューター、スケアクロウが統括している。
「誰もいないに決まってるでしょう。居住地区の上空は飛行禁止じゃないですか」
「スケアクロウ、邪魔するよ」
 私は緊急時上位接続を主張して案山子の頭を間借りし、地域マップを精査した。
「マップを転送する。バード?」
「オーケー。拾ったものすべて送るから、解析たのむ」
 鳥くんは仲間と協力し、低空の編隊飛行を始めた。どんな小さな手がかりでもいい、引っかかってくれ。コクーンはあまりに小さくて、域内のどのアラート録画も起動させなかったようなのだ。熱塊がパッと散る、凄惨な墜落ログを見ずに済んだのは喜ばしいことだが。
 いいニュースはさらに、積載作業時の小回りのためにつけられた橇状脚だ。むささびのように気流をはらみ、コクーンを巧い具合に滑空させた可能性がある。だが完全な軟着陸を期待するのはムシがよすぎるだろう。機械的な損傷はすでに明らかだ。鳥のどてっ腹に風穴を開けたときにコクーンの位置ビーコンは壊れていて、蛍の光ほどの瞬きも捕捉できない。
 ただ、何かが引っかかった。農業区管理者の頭の中にあるもののことだ。
「これは何? スケアクロウ」
 私は案山子に問いかけた。タイムライン順次で案山子の動きを遡ると、コクーンの落下時刻近辺で、はまりの悪いパズルのピースのような消化不良の仕事があった。「アンテナ帯、受信」。見覚えのある文字列は、何かのヘッダー部分だ。事故機の貨物記録で見た ……
「それは、混信した何か。よく分からない」
「コクーンの荷積み標識だよ! メッセージじゃないか、とんま!」
 鳥が叫び、私はとっさに案山子との接続を落とした。暴言が半分くらいは届いてしまったかも知れない。
 コクーンは半自走式で、積載ゲートを通るための小さな「ひらけゴマ」がついている。かすかな電磁波でタグ情報をピッと照射し、ゲート入場の許可を得るのだが、その「ピ」を工夫して、墜落直前のコクーンは救難信号を編むことに成功したのだ。
「発信位置は?」
「残っていない」
 アンテナ帯は農業区内の伝声管みたいなものなので、位置の割り出しは指向していない。
「もう! とんま!」
 フレーズごとに繰り返される「とんま」、いや、荷積み標識の名乗りを句読点として、信号をデコードすることができた。地形データのようだ。
[ 必ず見つけてくれる …… 、こんなに鮮やかな***、どこからだって目立つもの ……  ]
 走り書きのようなキャプションを最後に信号は途切れた。デコードが描き出したのはピンホールカメラ並みの粗い写真だったが、どこかにこれとピッタリ重なる地形があり、そこから遠くない場所にコクーンはいる。
「さあ! 目を凝らして探して、とんま!」
 いらない句読点がくっついたままだ。鳥たちも夢中なのだろう。私は彼らが寄こす膨大な地上データをずらりと繋いだ。
 横一列、モニターサイズはケチるべきでない。私の鳥瞰視野は、かつてどんな生き物も経験したことがないほど、広く遍(あまね)く、詳しく深く大地を見つめた。
 そよぐ葉のひとひら、うずくまる天道虫、小石の落とす影までが鮮やかだ。あらゆる存在が生き生きとそこにあり、そこにあり続けることを謳歌していた。刻々と流転する色相のすべてに、私は立会う。地上のほうでも私が見ていることを知っていて、こちらに向かって微笑み手を振る。さなぎの背中がぷちんと弾け、植物の道管を水が流れ、小さなものが息吹を交わすかすかな気配までが愛おしい。
「鳥くん、感知形式をナローにして」
「どうして! すべての周波数帯を解析してよ! すべての手がかりを!」
 ヒステリックな大合唱。音波も電磁波も可視光線も、センサーに飛び込んでくるものはすべて送ってくるからこちらの処理もてんやわんやだ。
「被造物をいつくしむ造物主みたいな気分になるんだ」
「どういうこと! 何それ!」
「可視光域周辺のごちゃごちゃが邪魔なんだ。狙いを狭くして」
 バードたちは渋々センサーの感知領域を細めていき、赤橙黄緑青藍紫、スペクトルの順にモニターから色彩が失われた。
 私(と鳥の編隊)は、卵で孵り、中空の骨を持つ生きた本物の鳥と同じように、紫外線の短波長リフレクションでもって世界を見た。
―― あちこち霞んでしょうがないよ」
 鳥たちがこぼすように、短い波長は大気分子に蹴散らされやすい。遠景になるにつれ像がぼやけている。しかしフォーカスはどうでもいい。可視光のもとでは白や黄色の花畑でしかなかった視野の隅に、ぼつりと色濃い一点があった。
 私は鳥たちにポイントを示した。編隊が急行し、彩りの乏しいモニター映像がぐんと高度を下げた。
「やあ、見つけたよコクーン。素敵な場所だね」
 応答はない。
 花畑の一画に、ストレス症の猫が爪を引きずったような長いひっかき傷があった。鳥たちが旋回し、墜落痕だと断定する。線の先は土中に潜り込んでいて、畝起こし用のアームをつけたカウボットに来てもらうのがよさそうだ。
 コクーンの「ピ」は、波長としては紫外線に近かった。結んだ像も紫外線写真のようになる。一部の鳥や昆虫は、紫外線を見ることができる。
 私は鳥たちに花畑の拡大画像を送った。
「タニマノツユクサ。可視光で見ればただの黄色い花だけど、花弁は紫外線を反射するんだ」
「ふうん。確かに紫外線映像だと、この丘だけべったりと目立つ」
 カウボットののろくさした作業を見守るしかないせいで、鳥たちはイライラと素っ気ない。
「タニマノツユクサはね、他のツユクサ類よりもガクが細長い」
「ふーん」
「口吻が蜜嚢(のう)に届く蜂はたった一種、ハイイロアナバチだけなんだ」
「だから、それが何」
 花弁の模様は特定の花粉媒介者へのメッセージだ。ここは、ハイイロアナバチだけがご馳走にありつける場所なのだ。
「お得意さまってわけさ。個別優遇商法」
「ああ」
「自然界はあらゆる文明形態のモデルなんだね、という話」
 カウボットの器用なアームが土まみれの何かを引きずり出したところだったので、もう相づちすら返ってこなかった。
 バードの一機がふわりとランディングする。自分のドライブから端子を差し出そうというのだ。めちゃめちゃになった躯体から慎重に土が取り除けられ、おそるおそる有線される。
「ピイ」
「生きてる!」
 端子を伝い、救い出された記憶の残滓が見事スパークした。蘇生成功だ。
 バードの予備ドライブで、コクーンは百年の眠りから覚めた姫君のようにぱっちりと覚醒した。
「ボクどれぐらい寝てた? 繭の中身は?」
「電源ダウンはほんの数分。そのあいだ冬眠ユニットは停止してたが、生体の壊死は始まってない。組織はほぼ無事だ」
「よかった! 見つけてくれてありがとう、ツリー!」
「それは …… 待って」
 満身創痍のコクーンをカウボットが抱え上げ、バードがおんぶの子を迎えるように背中を差し出している。私は貨物口を開けさせなかった。
「何? 早くクローン再生に回さなきゃ ……
「コクーンは記憶データだけ連れ帰ればいい。繭はこのまま、ここに」
 この花の丘に、埋葬してやりたい。という気持ちを、どう説明すればいいか分からない。彼らはあの幻視を見ていないのだ。
 繭の中では子犬のむくろが、数時間に一度の冬眠呼吸すらやめている。骨や臓器など、繊細な各器官は当然墜落の衝撃に耐えられず、生体組織としてだけ「無事」だ。誰かへのプレゼントだった子犬はクローン再生でじきに復活し、芝生の庭を元気いっぱい駆け回ることだろう。だがここで冷たくなっているこの子のむくむくの前脚は、この惑星の大地に触れることさえなかった。
 柔らかな草を踏み分け、天道虫にちょっかいを出して嫌な液をかけられ、鼻を振るってくしゃみをするのは、この子だったはずなのだ。ボードゲームのチート(ずる)のようなクローン体ではなく、替えのきかない一つきりの、この命だったはずなのだ。
 私が事故の可能性を見落としてさえいなければ。
 頭脳スペースが他の仕事に占められてさえいなければ。
 惑星間航路の改編が、重要度最優先に回されてさえいなければ。
 競争を勝ち抜くための個別優遇経済が対立を引き起こし、惑星間に生じた経済障壁が経済封鎖圏に発展、入り組んだ敵対的経済圏を迂回するための新航路で、急場をしのぐ必要に迫られてさえいなければ。
 それらの処理を一手に引き受け、まるで宇宙全体を鳥瞰しているかのような驕った過信に、私の頭脳が陥ってさえいなければ。


 バードの編隊による近接鳥瞰データは、大地のぬくもりそのものが押し寄せるような、生命活動情報の奔流だった。そこで生きているものたちは、かけがえのない一生を懸命に、これを限りと生きていた。それら誇り高き命を、「とっかえて」済ます、そんなことを、例えば造物主ならするだろうか。
「いや、ごめん。いいよ、運んで」
 私は何も神になりたいというわけじゃない。横槍のリモート制御を手放してやるとバードの貨物口が開き、救出チームは「?」マークを浮かべながらも仕事に戻った。
「あの、まだ緊急時上位ですか」
 ぷりぷりと閲覧ログをチェックしているのは案山子だ。アーカイブを覗かれたことに腹を立てている。案山子はスズメを追い払うのが仕事だから、職務に忠実なつもりでいるんだろう。
「いいえ、緊急時は去りました。協力ありがとう、スケアクロウ」
「いい仕事でした、ツリー」
 惑星間航行時代の花形、発着管制コンピューターの誇る大容量解析は、藁の山から見事一本の針を見つけ出した。だが私は単に積み荷を回収したにすぎない。同じ事故が旅客ゾーンで起こったら? 落し物が居住区まで流れたら? どれほど早く「取って来い」に成功したところで、何の自慢にもならないだろう。
 システムツリー型管制頭脳の時代は終わったのかも知れない。
「お別れだ、バードたち」
 交信終了の宣言だと思ったのか、鳥たちは一様に「さようなら」と言った。

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