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 『オチルユメ』  作 / 歩く猫
(1)

「ねえ」
 数歩まえを行く背中に、私は声をかけた。
「ねえ、夢オチってあるじゃない」
「あ?」
 ユウトは歩調を変えず、頭の角度だけで振り返った。
「信じられないようなことが次々起こってさあ、でもぜんぶ夢でした。チャンチャン、ていう」
「ああ」
 短い返事は、いかにも面倒くさそうだ。私が内容のない話をはじめるとき、彼には話すまえからそれが分かってしまう。
「フィクションとしては、禁じ手だよね」
 幼なじみの気安さで、私は思いつくままにしゃべった。目的地まではまだまだ歩かなきゃならないのだ、ヒマつぶしに付き合ってもらいたい。
「でも、その手のってけっこうあるだろ。不思議の国のアリスとか?」
 相づち以外の答えが返ってきて、私はにんまりと笑った。彼もきっと、この先の長い道のりを思い浮かべたに違いない。
 私はぴょんと一歩だけ弾んで、隣に並んだ。こういう歩きながらの自由連想って好きだ。
「あれはどんな子供も、“これは夢のお話よ”って説明されてから手に取るんじゃない?」
「有名な古典だもんな」
 ユウトでも知ってるんだもんねえ、という意味でうなずいてから、私は首をかしげた。
「アリスが初めて世に出たころの読者は、あれ読んで怒らなかったのかな」
「夢オチが許せるかどうかは夢パートの内容にもよるだろ。俺は、楽しけりゃいい」
 ユウトはひとりニヤリとしている。
「酒池肉林系のエンタメ作品には、夢でしたーで切り捨てたほうが、悩みがなくていいっつーのが多いぜ」
「うわ。“後くされのない女”みたい」
 私は顔をしかめた。男女のステレオタイプについて話すときだけ、急に全女性の味方をしはじめる女がいる。私はそういう女のステレオタイプだ。
「一度関わりを持ったら、その人や出来事の一部を引きずらずには、次の人生に進めないのが普通でしょ。違いますか?」
 口調がすっかり説教モードになっている。具体的な当事者の立場が何もない、一般論での議論は不毛だ。でも、無責任な一般論は、だからこそ楽しい。
「人生ね」
 ユウトも分かっているようで、気楽そうに受け流してくれる。
「フィクションを楽しむときくらい、そういうわずらわしさから解放されていたいわけさ」
「理解はできるけど」
「ま、それこそ男の夢だ。許してよ」
  ――― 夢。
「ユウト、それよりさ」
 私は本題を思い出した。夢オチに関する自由連想の、そもそもの出発点。
「これって夢だよね」
「なんで」
「だって」
 自分の声が震えている。ユウトが気づかうように私を見た。
「だって私たち、浮いてる」
 足もとには、見慣れた町並みがあった。ただし、ヘリからの中継映像のような俯瞰(ふかん)図で、何メートルも下に。
「ユウト、あのさ」
 私は足をとめられなかった。私の顔をのぞきこみながら、ユウトもてくてくと空中を歩きつづけている。高層マンションの屋上にあるアンテナが、目の高さを横切った。
 ずっとこうして歩いていた。ユウトと一緒に。長い道のりに、お互いうんざりしながら …… どこへ向かって? かかる時間まであんなにはっきりしていたはずの、目的地が思い出せない。頭がズキズキする。
 三つ編のダンゴがきつすぎるんだ。私は後頭部のヘアピンをさぐった。だいじょうぶ、彼ならちゃんと場所を知っているはず。でも、幼なじみで仲良しの男の子なんて、そもそも知り合いにいただろうか?
―― ユウト」
 確かめるために、つぶやいた。こんな名前は知らない。
 名前を呼ばれた人のように、彼の表情が反応した。やけに赤い唇の両端が、細い三日月のかたちに、きゅうっと吊りあがった。
 それが笑顔だと分かったとき、私はすでに落下していた。

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