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シルバースプーンレイク(3)

「楽しみねえ。でそのホテルだけど、ずいぶん高級なところなの?」
 バーナビー卿夫人はもじもじと便箋を折ったり広げたりしている。
「ああ、またダイヤをひとつ売ってきます」
 遠回しな表現をばっさり切られ、夫人は眉をひそめて遠慮を捨てた。
「任せておいていいのでしょうね? 処分が簡単な新しい時代のダイヤは、もう残り少ないんでしょう」
「は、心得ております。お母さんたちの生活費がなくなっちまうほどには、使い込んでおりません」
 デレクが三下歩兵のようにしゃっちょこばって敬礼し、夫人は付き合いよく「しまり屋の上官」を引き受けた。
「お前は気前よく使いすぎるようで心配だわ。私たちを喜ばすようなことでどんどん使ってしまったら、未来のお嫁さんをどうやって食べさせていくつもり」
 デレクは自分だって稼いでいると言いかけたが、ロイヤルオンタリオ博物館が送ってよこす小切手の額を思い浮かべて口をつぐんだ。趣味がこうじた中国美術の目利きとしてたまに呼ばれ、購入品に関して助言をするというだけでは、立派な紳士の収入としては確かに足りない。
「僕には、独身主義が合ってるのかもしれませんね」
「それは余裕がある人の言うことですよ。お前のはただの人嫌いではなくて」
「まあまあ、人好きのする美人の手にかかればあっという間に結婚礼賛主義に鞍替えしてみせますって。自分の意思の弱さにかけちゃ、僕は確固たる自信があるんです」
 レトリックのおふざけに乗るべきかどうか迷った夫人はわずかに眉をあげ、デレクはかまわずニヤリとした。
「とにかく、モントリオールには行きますよ。呪わしき家宝のその後には興味あるでしょう。よそんちでもやっぱり持ち主の首を絞めにかかるのかな」
 文字通りチョーカーに窒息させられる手つきは思いがけずウケがいい。デレクは調子に乗った役者のようにたたみかけた。
「呪いのダイヤだとか言って脅かしたら、安く手放したりしないかなあ」
「おやめなさいな。呪いどころか、しばらくはあれでずいぶん助かったのよ」
 ひとしきり笑ったので夫人はのびのびと言い、バーナビー卿も隣でうなずいた。
「毎日ヒヤヒヤしていたもんだ。あっちこっちの邸宅の維持費やなんか、あいかわらず出費はかさむし」
「放蕩息子は浪費をするし?」
 間をはずさぬ切り返しに短く笑い、でも卿はおどけるタイプの役者ではない。
「保険の更新はせまってくるし。更新のときの鑑定をいかに切り抜けたものか、どうにも算段がつかなかったよ。放蕩息子にお内証を打ち明けたのは最後の手段だったがね、デレク」
「ああ。あれこそまさに青天の霹靂、突然の曇天、一天にわかにストームクラウドでしたよ」
 デレクは口元をひんまげ、使い古された洒落への賛辞を辞退した。
「本物はもううちにはないって、素直に保険会社に白状したらどうだったんです? 保険料だってバカにならない額だったのに」
「だってお前、金に困って家宝を売っていたなんて、人に知られたら恥ずかしいじゃないか」
「そもそもなんだって、いの一番に主石を売ったんです。取り巻きダイヤじゃなしに」
「たまたま買い手がついたんだもの」
 交代ばんこに弁明していると芝居のセリフ割りみたいなので、夫人はのんびりと言い足した。
「もっと現代的なカットにして輝きを引き出すから、誰もストームクラウドだとは気づきませんよ、なんて言って。あんな処分のしにくい石に内緒の買い手がつく機会なんて、そうそうないのよ。それにね」
 ちょっと声をひそめて緩急を加える。
「あのままうちに泥棒が入るか、私たちがそういうフリをするかすれば、保険金がおりるのじゃないかって思ってしまったの。ほら、ミドルシャム侯爵夫人がこっそり教えてくださったでしょう、ご自分のティアラのこと」
「それじゃ保険金詐欺になってしまうんですよ、分かってるんですかね?」
 デレクが大きな仕草で天を仰ぐと、思い出話も仕上げだ。
「苦労しましたよ。いっそ誰かがくすねてって保険をご破算にしてくれやしないかと、パーティがあるたびにあっちこっちイミテーションを持ち歩いて」
「まさかモウブリーさんのところであんなことになるなんて、思いもしなかったわねえ」
「あそこは防犯もしっかりしてるだろうから保管してもらうには問題ないし、ついでに当座の金をちょっと借りてみただけだったのに」
「えらい面倒をかけてしまったなあ。金も借りっぱなしになってしまった」
 セリフがひと巡りしたところで、デレクはちょっと首をかしげた。
「あの場合、仕方なかったんじゃないかな。担保品がすり替えられたっていうのに大人しく金を返したんじゃ、こちらが疑われますからね」
「あら本当。お前の言うとおりですよ、デレク」
「とにかくおかげで保険契約はチャラになって、助かった」
「そうだねえ」
 親子はすっとぼけてうなずき合うのだった。
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