ムーンライトマーマレード（４）
「クレ ―― アさま！」
私はベッドの中でビクリと跳ねた。コックのミセス・ギールグッドの声だ。なぜ、と考えられるほどにはまだ頭が覚醒していない。私は両手で突っぱるように伸びをしながら、もぞもぞと寝返りをうった。
せっかくいい夢を見ていたのに。はっきり覚えていないが、何となく慕（した）わしい気配に満たされた、心地よい夢だった。姿を見たわけでも、声を聞いたわけでもないけれど、うちになつかしい誰かがいると、たしかに感じた …… 。
「クレ ――― 」
「はいはい、起きます」
時計を見ると、まだ早朝だった。大体こんな風に、階下から呼びつけられる覚えはない。いつもなら、部屋までメイドのスーザンが起こしに来る。ミセス・ギールグッドがあんな金切り声をあげるのは、私が学校にあがったばかりのころ以来か。寮に持って行こうと思って、食料庫のマーマレードを瓶ごと三つ四つ持ち出したら、ぜんぶ落として割ってしまったのだ。
「甘いほう、減りすぎてたかな …… 調味料棚のほうにも、鍵をつけられちゃうのかなあ」
ほかの家人も起きだしているようで、私はとにかくベッドからおりた。
一階におりてみると、食料庫のあたりに人だかりができていた。皆もう仕事を始める時間だったらしく、寝間着のままの者はいない。憤然としているミセス・ギールグッドからは見えないように、そっと近づいた。男の使用人が、食料庫の開いた扉にかがみこんでいた。
「ミセス・ギールグッド。こりゃこっち側からできる仕事じゃないですよ」
「本当だ、錠は食料庫内から壊されてる」
ひとりが扉をパタパタと動かすと、内側にぶら下がったノブがガチンガチンと揺れた。
「クレアさまがやったなんて、どうして思ったんです？」
「マーマレード欲しさにバールを持ち出して、扉をメリメリと？」
何人かはすでに私に気づいていて、笑いをこらえながら目くばせを寄こした。
「だって、あたしゃてっきり」
ミセス・ギールグッドは、まだ鍵を差し込む形に握ったままでいる。
「おい。ということは、この食料庫から誰かが夜中に出てきて、お屋敷をうろついたってことじゃないのか」
ひとりが言うと、皆ギョッとして息を飲んだ。
「扉に触ったやつは、ちゃんと申し出ろよ」
「ノブなんか触るな」
扉のまわりに、そろそろと空間があいた。
「え、じゃあ …… 警察を呼ぶのか？」
「そうなるだろうな」
ざわざわと話しているうちに、ガウンを羽織ったパパが執事といっしょにやってきた。
「クレア、部屋に戻って …… いや、皆といなさい。スーザン」
スーザンがきりりとうなずいて私の肩を抱き、パパは食料庫の扉をざっと見て、男の使用人を何人か連れ、階上を見に行った。
「何が盗まれたろうねえ」
「どうやって入ったんだろう」
私はハッとして皆の視線の先を追った。食料庫の高い小窓は、ちゃんと閉まっている。
「身の軽いヤツが壁をよじ登って、外から小窓を開ける …… ？ いや、きっと腕くらいしか入らないな。子供ならまだしも？」
使用人たちはお互いに顔を見合わせ、自信なさげに首を振りあった。
「近ごろは、子供を使って泥棒するヤツもいるってよ」
「子供を使う？ どうやって」
「ああいう小さい窓から、まず子供を押し込むんだ。家に入った子供が、もっと大きい窓の鍵をあけてやる」
脳裏にはっきりしたイメージが浮かび、皆ああ、とうなずいた。
「かわいそうに。貧民街の子かしらねえ」
「それより、ガラスを蝶番（ちょうつがい）ごと窓枠からはずせばいいんじゃないか？ 腕を伸ばせば、ネジ留めのところまで道具が届きそうだ」
別のイメージが現れる。斜めに開いた小窓のすきまから、ぬっと差しいれられる腕。
「ガラスをはずしたからって、あの枠を通れたとするとよほど小柄だなあ」
また、揃って「ああ」とうなずく。皆にはどれくらいはっきりした映像が見えているのだろう？ ツタに隠れて外からは存在が分からないはずの小窓を目指し、ちょうどいい道具を手に、壁を登ってくる小柄な誰か …… 。
「クレアさま、お顔の色が」
スーザンが言い、誰かが調理場の丸椅子を持ってきて座らせてくれた。
皆の思ったとおり、ガラスは一度はずされたらしく、窓枠に立てかけてあっただけだった。しかし盗まれたものは何もなかった。パパはタチの悪いいたずらだろうと言って皆を仕事に戻らせようとしたが、玄関のベルが鳴り、執事がドアを開けると、巡査を従えた刑事が立っていた。
「ご近所から通報がありましてね」
ミセス・ギールグッドがこの早朝にわめきたてたのだ、ムリもない。警察がまだ引き上げないうちに、保険会社からも人がたずねて来た。
「こちらに家宅侵入があったとのことで、ご様子をうかがいに参りました」
さすがああいう商売は耳が早い。応対に出た執事は、今度はいんぎんに取り次ぎを拒んた。
「書斎の金庫は、旦那さまとわたくしどもで確認いたしましたが、壊されたり中のものが盗られたりなどはしておりませんでした」
そこへ台所まわりの検分を終えた刑事がブラブラとやってきた。
「まあまあ。念のため、プロの目で調べておきましょう」
金庫にはムリヤリこじ開けられたような形跡はなかった。書類や現金など、金庫の中身も無事。ただ、なぜかバーナビー家のストームクラウドが、布にくるまれて入っていた。お茶会の日、デレクの従者はたしかに大型のジュエリーケースをうやうやしくささげ持って帰っていったはずなのに。
「ちょっと内々のご融資をしたもので、その担保がわりにお預かりしたのですよ」
パパが借用書を見せると、刑事はそれで納得したようだった。それにしてもデレクはうちに借金に来たうえ、私を突き飛ばして帰ったのだ。迷わずつま先に全体重をお見舞いしておくべきだった。
ところで保険会社の人が念のためと言って宝石の鑑定を提案した。ストームクラウドの保険はお宅の会社とは違うとパパは言い張ったが、金庫そのものの安全性が、うちの保険契約の額にも関わってくるとかで、パパは渋々折れた。
専門家による鑑定の結果、至宝ストームクラウドとして知られる大きな青ダイヤは、不純物の少ない水晶を、色付きの台座にセットしただけの、青くて真っ赤なニセモノと分かった。