HOME
ムーンライトマーマレード(2)

 それからもたびたび、私は夜中のマーマレードを必要とした。
 耳のいいピーターはそのたびに現れて、しばらくおしゃべりに付き合ってくれた。パパたちが田舎から帰ってくるまでに整理しておかなければならない書類があって、毎日遅くまで仕事をしているのだそうだ。そういえばなるほど最初の晩も寝間着ではなく、きちんとシャツとズボンを身につけていた。
 ただ、相変わらず拳銃まで持ってくるのが不思議で、わけをたずねると、
「誰かに見つかっても、泥棒だと思って見に来たと言えるでしょう」
 と答えた。
 私が聞きたかったのは、そんな言い訳を必要とするような裏事情が私たちにあるのかということだったのだけれど、うまい聞き方を思いつかなかった。
 おかしな時間に夏の寝間着ひとつでいるところを見つかったって、涼みたくてと言えば済む。幽霊と間違えられた晩以来、私はきっちりショールを巻きつけてから寝室を出たので、大して有効な言い訳ではなかったが。
 本当に誰かに見つかる心配はあまりなかった。留守宅の監督役、従姉妹のケイト・オルグレンは眠るとき睡眠薬を飲んでいたし、使用人たちは一日じゅうはたいたり磨きあげたり大忙しで、夜はぐっすり寝入っていた。貴族さまの邸宅にご招待を受けているパパとママが帰ってきたら、じきにお客の出入りが激しさを増し始めるから、何もかもすっかり準備しておかなければならないのだ。


「社交シーズンって、どうして学校の夏休みとかぶってるのかしら」
 スプーンをくわえたまま言ったので、口の中がカチカチいった。
 夏の社交シーズンに入ると、貴族たちは田舎の領地からこぞってロンドンにやってくる。競馬やらレガッタ観戦やら、各種の社交イベントが開催されるのだ。
 頭に重い称号が乗っていない家の健全な子供としては、実家でのんびりするのを邪魔されるだけの、迷惑な季節だった。
「社交シーズンはどうして夏休みの子供がウロチョロするんだと、大人のほうは思ってるんじゃないですかね」
 ニヤニヤしながらピーターが言った。
 これまでなら、私は大人たちの民族大移動とは逆の潮流にのって田舎に行き、貴族の友だちの領地に滞在して思い切り遊ぶこともできた。今年はロンドンに足止めをくっている。
「正式のパーティに出るのは十八歳になってからでいいって言ってたのに」
 私はたらいでスプーンをゆすぎ、おざなりに磨き粉でこすった。
「詐欺だわ。下準備は今年からはじめるわよ、なんて」
 カン高い声でママの口調を真似る。ピーターはだらしなく調理台にもたれていたが、雇い主の悪口には加担するまいと姿勢を正した。
「雰囲気になじんでおくことは大事でしょう。あと、ダンスの練習とか」
「ワルツなら、寮で友だちと研究を積んでいるのよ。足を踏む研究」
「逆じゃないですか? 踏まない研究」
「いいえ。これは三拍子で自在に相手の足を踏んづける高等技術よ。そら」
 私はつんと顔を仰向け、静止基本形を取った。ピーターがやれやれと男性位置に付く。
「いち、にー、つま先。靴の、外側、内側。見なくても、正確に」
 言ったとおりの場所を踏みつけながら、のたのたと円弧軌道を描く。男性が遅れ気味なので私がリードだ。
「とどめは、くるぶし」
 ピーターの軸足が移ったタイミングを見て、つま先を内くるぶしにお見舞いした。
「うわ」
 見事にバランスを崩し、ピーターの髪が頬をかすめた。
「すみません …… っ」
 お互いに数歩よろけながら、強く抱きしめられた。
HOME