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ツオダイの魔物(2)

「酒がねえとさみいな」
 男たちは、きつく腕組みして身を縮めた。
「だけどな」
「火を焚いて敵の目を惹いたんじゃな」
「若さまのお株を奪っちまうもんな」
 冗談口を叩いていれば不安は紛れる。冗談口の代表といえば若さまだ。元気の出た男たちは、立ち上がって足踏みした。
「しかし歴史考察のご教授とは恐れ入った」
「歴史病はイウォリ隊長でこりごりだぜ」
「牢にいるあいだは、若さまもお腹いっぱい聞かされたろうに」
「影響されちまったのかね。可愛いよなあ」
「はーあ」
「何だよ。ネグトレンさまよ」
「気づかないかねえ。そもそもの語り出しから、お前らあのかたの術中にハメられちまってたんだぜ」
「術中?」
「語り出し?」
 今度はネグトレンの周りに円形劇場が作られた。
「語り出しで閣下は、ツオダイという言葉のもともとの意味についておっしゃった」
「ええと、『おそろしい顔の化け物』……」
「それそれ」
 飲み込みの悪い生徒にじれる算術教師のように、ネグトレンはイライラと指を振った。
「それが閣下の即興の思いつきでないと誰が確かめた? それともこん中にゃ、古代北方語に精通したもんでもいたっけか?」
 兵士たちはハッとして顔を見合わせた。
「でっちあげか」
「前提からまるっきり?」
「うわあ、かつがれた!」
「ホラ話としちゃお決まりの作法だぜ、諸君」
 ネグトレンはやれやれとあぐらに肘を乗っけた。
「まずは小ボラでつっつき、誰からも異論が出ないのを確かめて、ゆっくり側面を固め、おかしげな語り調子で阿呆どもの気を惹くだけ惹いたら」
「うんうん」
「えぐるような尻すぼみで、ガクーッとすっ転がしてやるわけさ」
「ああ?」
「何のためにそんな」
「お前らすっかり調子に乗って、若さまをからかい始めたろうが」
 ネグトレンはぐるりと見回し、ひとりひとりの顔を見比べた。
「あのかたは全部覚えてるぜ。お上手言ってた奴のうち、誰が一番短い時間でくさしに回ったか。ユワク統一を笑える冗談としか思ってねえのは誰か。給料だけ取って敵方に走るとしたらどいつか……」
「おいおい、よせよ」
「俺たちゃ試問を受けてたってのか」
「他国人の兵を使って天下をうかがおうってんだ。当然の用心だろうよ」
 声をひそめたネグトレンがあごをしゃくるので、男たちもおそるおそるくぼ地の向こうを透かし見た。
「ぽやんとしてて何だ、おっそろしい切れ者じゃねえか……」


 暮れ方にぽやんと浮かんだ半月の位置を、カルサレス卿は指の幅で測った。
 放った斥候はまだ戻らない。
 周辺を入念に確かめているか、砦に近づきすぎて捕まったか。
「時々ふっと思うんだ。ひとりでぶらっと平原に帰っちゃおうかなあって」
「わ、若」
「うそうそ。ちょっと疲れてさ」
 卿は革胴をがばりとくつろげ、下に着込んだ鎖帷子を直した。
「あいつ、わざと私を軽装に見せて、誘ってるんだ」
「何を?」
「暗殺を」
「な……」
 兵士は身をこわばらせたが、合わせ目からぽりぽり体を掻いている主を見て、緊張を解いた。
「ご冗談ばかり。若のお側に置くのは、軍師どのがよくよく吟味した者ばかりと、この耳が確かに聞きましたよ」
「お前たちを安心させるためさ。平原の者は目がいいから、何より遠見や斥候として使いたいわけ」
「そんな」
 兵士は主の姿になめるような視線を走らせた。どれほど鎖を着込んでいても、首もとや関節にはいくらだって隙間がある。
「では、いつ報償目当ての悪党が若を襲うか」
「ん。まだちょっとしたことで均衡は変わる。私の首を土産に出世を狙うって選択肢は、いつも彼らの頭のすみにあるだろうね。そんな顔をするな」
 卿は、思い詰めた様子の若者に見えない石を投げた。
「私の横にべったり付いていたって、お前たち、剣の腕が立つわけでもないだろう」
「とっさの盾としてお使いいただくことはできます」
「心配しなくても、誰も剣を吊したまま私の隣に座ったりできないよ。今日のようなときだって、ぎゅうぎゅうに詰め合って身を隠すんだ、武具は鞍に結んでおけとあいつが言えば、あとはナイフを尻の下に忍ばせたような者だけ注意していればいい」
「はあ」
「誰がどういう呼吸で飛びかかってくるだろうとか考えてると、緊張するんだよね。黙っていられなくて、ついバカ話をやってしまった」
 卿はうつむいて胴の金具をかけ直し、照れくさげに首を振っている。
 兵士は唇を噛み、小さく自分にうなずいた。
「……あの人を信じてみます。若が、あの人を信じておられるのだから」
「信用ね」
 カルサレス卿は頼りの胴をぽんと叩いた。
「してるよ。あいつなら私なしでもこの戦争進めてくだろうな、ぐらいに」
「頭目をやりたがる男とは思えませんが」
「身代わりを立てるのさ」
「身代わり」
「探せばどっかにいるだろう、私のような黒髪で、だまされやすく野心のない、年の頃ならそうお前くらいの……」
「若」
 よそ見が最小限になるようチラと振り返り、兵士は手だけ伸ばした。
「酒をこちらへお渡し願います」
「うっふっふ」
 卿は袋に栓をして手渡し、ついでに伸び上がって彼方を眺めた。
 でこぼこの荒野と、広い低地。その先に砦がかすんでいる。そろそろ灯火が回され始めた。
 内通者によれば、砦の指揮官はこれまでの相手とは違って信心深くもなければ、カーサル大王と聞いてはしゃぐタイプでもないらしい。
 だがネグトレンは、落とせる砦だと言っている。
「ほんとかね」
「若?」
 内通者がいるということは、部隊内に対立が潜在しているということだ。
 例えば突然やってきたプノールンプルンの兵団が、金貨の袋をドンと置き、
「近隣で捕縛したごろつきが隠し持っていた。ここの兵士と謀って、騎士の身代金をちょろまかしていたと白状したぞ」
 などとと言いたてたらどうなるか。
 捕虜と交換に支払われる身代金は、王都まで厳重な警備のもと輸送される。
 この砦の守備隊はその任を一手に担うエリートで、身代金のちょろまかしは彼らのプライドと規律と良心と、夢と希望のかたまりで、つまりみんながやりたいことなのだ。
 あいつが怪しい、いやあいつに違いないと、普段からの対立を反映したそしり合いになったところへ「まあまあ」と割って入り、追って沙汰あるまで穏便にと念を押しては、一方だけ罪人扱いするわけにいかないんだと謝りつつ、要するに双方をごっそり武装解除する。
「あとですっごい怒られそうだなあ」
「まんまペテン……ですね」
 卿は、懐中で持ち重りのする小さな袋を探った。
 砦の男たちの理性を攪乱するため、金貨は教会から借りた本物だ。
「正念場っていうんだろうな。寝返りを渋ってる者たちに、この砦までカルサレスにつくならと言わせなきゃならない。でないと『やっぱ降りたー』と言った者から先に、私を王都へひったててくかも」
 顔を売らなくていい卿は、本来出番のない作戦だった。ネグトレンに持たせるというなら金貨は貸さないと、クエイサ尼僧長のたっての指名でここにいる。
「若、万一のときは、私が若の身代わりに」
「うん。私は金貨だけ持って逃げるとしよう」
「クエイサさまが鬼の形相で追ってこられますね」
「そりゃ怖い」
 二人は仲良く並んで大口を開け、酒袋を逆さに振った。
「ツオダイのもともとの意味を知ってるか」
「おそろしい顔の化け物、でしたか」
 北方語は古くからの交易相手の言葉で、平原の民にとっては馴染みが深い。
「森で出会うのは、人でも魔物でもないよね。半人半獣の、どっちつかずの何かだ。出方次第でそれが味方となるか、敵となるか」
「はい」
 彼らの目指すはるかな地へ、道のりはまだ遠い。

←作品が完読に耐えたことを教えてやると喜びます。お付き合いありがとうございました!
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