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ツオダイの魔物(1)

「ツオダイは、言葉としては『おそろしい顔の化け物』って意味なんだそうだよ」
 カルサレス卿が言った。
 くぼ地に座った男たちは、ぽかんと顔を上げた。
「化け物の土地ですかい」
「辺境らしいこってすなあ」
 さざめくように、気安い私語が広がる。
「半人半獣の魔物が売りだもんな」
「辺境がどうしたって?」
 車座の辺境にいる者もあぐらをにじらせて来る。
 カルサレス卿は、直卒の一隊を見回した。
「ツオダイの地にもともと住んでた人々ってのがね、ものすっごく醜い顔をしてて、それを指して呼んだ名残なんだそうだよ」
「へえ」
「醜い蛮族か」
「そいつぁいかにもおそろしげだ」
「まあ、価値観は色々だから、異質すぎて新来者には醜く見えたってことだね」
「ふうむ」
 兵士たちがうなずくと、同じ動きが伝染する。
 カルサレス卿は、集合越冬する虫を思い出しながら続けた。
「ツオダイをツオダイと名づけた連中ってのがつまり、現在のツオダイ人だ。あとから来て先住者のご面相を云々した、礼儀知らずってわけさ」
「んはは」
「一説によれば彼ら、北海の向こうの雪原狩猟民だったという。凍結した北海を渡って南下してきたんだ」
「北海が凍っちまう? んなバーカな話」
 強めの茶々を入れかけた男は、仲間にぐいと引き倒された。
「あー、年中間違いなく船が入れる不凍港だって、船乗りはよく自慢しとりますが」
 そつなく後を引き取った兵士にも、頭をかきかき膝を正した兵士にも、卿はへだてなくうなずいた。
「ある時代になって急に冷え込んだってことさ。北方の民もびっくりして逃げ出すほどにね」
「ほほう」
「さて、ねぐらを探してる大きな群れってのは覚悟も半端じゃないよね、ぐずぐずしてたら一族郎党死に絶えてしまう。ようやくあったかいとこにたどり着いて嬉しくなったりもしたんだろう、ツオダイの地に居ついた移住民は日の出の勢いで勢力を伸ばし、先住の民を森の奥へ追いやってしまったわけ」
「うんうん」
「とはいえきのこ狩りなんかで奥地に迷い込んだりはするだろう。たまたま異民族同士が出っくわしたとしてだな。こっちから見て醜いものがあっちからは美形になるわけないよね」
「道理ですな」
「『顔こわ!』ってんで向こうが悲鳴でもあげるだろう。もうお互いに『ギャー』となったら止まらない。『威嚇だってこれ威嚇してるって』、『ゲンコツ握ってる、これ殴られるよ、ギャー』、『ギャーっつってる顔こわ!』」
「ぷーっ」
 上官の説話であれば、いい間合いでどっと笑うのが作法だが、技巧くささのない卿の語り口は合いの手を入れにくく、兵士たちは合わせどころを探るより先に吹き出し、バラバラに笑いさざめいた。
 卿は機嫌よい虫たちをほっと見回した。
「そうやってひとしきりわめき合ってさ、ほうほうのていで逃げ帰った恐怖体験に、『森で魔物に会った』ぐらいの尾ひれがついてだな、それがつまり」
「ツオダイの半人半獣の伝説というわけですか」
「お見事お見事。なかなかのネタをお持ちでらっしゃる」
「ネタっていうんでもないんだけど」
 卿は鼻先を掻いた。
「いやご謙遜」
「なあ」
 いつでもクスクス笑っていい気安さが、兵士たちの口を軽くしている。
「お話んなる節回しがまたお上手だ。板に何とかいう」
「立て板に水だろ」
「それそれ。立て板に水。歩兵の早ションベン」
「汚ねえなあ」
「お前ら、お話の聞きどころをちゃんと分かったのか」
 寒さしのぎの酒袋が回される。
「昔話の裏にゃ、土地を追われた民の哀しー歴史があったわけさ」
「おや、しみじみとまとめてもらったが」
 カルサレス卿は目をキョロリとさせた。
「ことはそう単純に終わらないんだよ。魔物の汚名を着せられたのは、追っ払われた方だけじゃない。同じ理屈で、森の民の炉辺がたりにも、悪役は登場するはずだろう。『森をうかがう異形の魔物』として、新来ツオダイ人がさ」
「うん、そりゃそうだ」
 二段がまえでもうひとネタ始まるとは。満座の興味は卿に集中した。
「時代が下って、森の民はすっかり新来勢力に飲み込まれたけど、伝承は細々と残るよね。お互いに真っ向から主張の違う昔話ではあれ、そこは恐怖って根っこが同じだ。少しずつ要素が入り混じってさ、こちらが人であちらが魔物と思っていたらあれっ、見方を変えりゃこっちが魔物であっちが人か、そうやって悪役の担当があっちこっちするうち、森のあっちとこっちに引き裂かれるみたいにして、ツオダイの魔物は半人半獣となったんじゃないか。とこう、私は思うんだ」
「え」
 兵士たちはかくんと首を突き出し、主の真顔を見守った。
「なんだ。お考えですかい」
「うん。本に書いたらどうかと思うんだが」
「思うのは自由でさ。大いに思いなさったらよろしいよ」
 卿は居心地悪げにマントをかき合わせた。
「白けさせたかな。言ったろう。ネタってほどのものじゃないって」
「いえね閣下。持ち寄り話にも作法がござって」
「知ってるよ。最後にどっと笑えるやつだろう。苦手なんだよね、きっちり作ったホラ話って」
「いやいや、頭からケツまでホラ尽くしとなるとまた粋じゃないんで。ほんのちょびっと本当らしい理屈を混ぜまして」
「立派な理屈のついたやつといや、閣下は大ネタをお持ちじゃないですか」
 ひとりが含みありげに見回すと、仲間もくつくつ笑いを抑えられない。
「そこらの男ではなかなか言えませんぜ。ユワク統一となると」
「それなんか特に、ネタとかじゃないんだからな」
「いや全く。晴れてユワク王となりゃ歴史書だって修正し放題」
「何ページでもお書きになりゃいい」
 回ってきた酒袋を、卿はヤケ気味にあおった。軽口の数珠つなぎに巻き込まれたら、もう逃げられない。
「ただの考察なんだから、学者ウケでいいんだよ。控えめに、薄い冊子で」
「冊子? 連巻になさい。学者は長い話が好きですぜ。化粧装丁で、題字は金だ」
「直筆限定版にして、お清書もなさるといいや。粒の揃った字で」
「右あがりにピンとはねまして」
「行商人書体ですな」
「こら、閣下を愚弄するのもいいかげんにしろ。ぐらいのことが言えんか、おいネグトレン」
 主の声に、車座の端にいたネグトレンは威儀を正した。おほんと咳払いする。
「あー、お前ら。隠れて言うのが楽しい若さま列伝を、ご本人にお聞かせするやつがあるか」
 これが一番ウケた。
 卿はすっくと立ってマントを払った。
「じゃあね。私はよそへ行くから、存分に若さま列伝を持ち寄ったらいい」
「あ、どうぞどうぞヘソを曲げずに。若さま」
「酒の袋は持ってかないで」
「よろよろ歩きでくっついて来るな」
 卿は、男たちを蹴散らしてくぼ地を出た。
 岩場への上がり端(はな)に、首うなだれた馬がひとかたまりになっている。
 駆けどおしに駆けたあとで、草を探しにどこかへ行ってしまう気力もないようだ。
 卿は何頭かの首を叩き、鼻息を聞いてやってから、小高い方へ登った。
 岩の上に、見張りの兵が腹ばいになっている。
 気配に振り向き、主の姿をみとめた兵士は、立礼を取ろうとしてあたふたともがき、卿は片手を振って制した。
「そのまま。ちょっと、見に来た」
「異常はございません。小さな火ならお焚きくださっても」
「寒くはないよ。酒が行き渡って皆ほかほかだ」
 ぺたんこの酒袋を振ってみせ、卿は岩の下ほどに腰を下ろした。
「奴ら、お供もせず、若をおひとりに?」
 憎らしそうに背後をにらんだ黒髪の兵士はカルサレス平原出身で、彼の言う「若」にふざける意図はない。
「供をせよと言えば言ったで別のお供ごっこが始まりそうなんだ。彼らの助力が頼りの私だから、あんまり威張りくさるわけにもいかないが、からかわれ放題というのも何だか、とにかく酔っぱらいは不快なの」
 卿はのびのびと本来の若さまらしさを発揮し、兵士が防寒用の敷物を厚く折って差し出すと、ぼすんと座った。
「ほっとけば酒も抜けるさ」
「気さくもほどほどになさってください。臣下が主を侮るもとになりましょう」
「まあ、ネグトレンが策ありげな顔をしていた。任せよう」
「大丈夫でしょうか」
 卿は脇の金具をはずして革胴をゆるめ、ふーと息を吐いた。
「せいぜい悪知恵を動員するさ。私が統率力を失って困るのは、あいつだもの」
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