ビッグ・ブルーノが殺された。
殺害現場は限られた人間しか知らない秘密のアジト。デリケートな問題でしばらく身を隠す必要があり、彼はそこで隠遁生活を送っていた。
事件当夜のブルーノは、自分でドアのスリットをずらして訪問者を確認し、自分で鍵を開けて、犯人を部屋に入れている。そして飲み物を作ろうと小さなバーカウンターに向かったところを、背後から撃たれた。完全に気を許していたのだ。
つまり居所を知られているのをブルーノ本人も承知していた人間、仲間の誰かがやったということになる。
私を含めた五人がそれに該当した。いずれも組織の幹部として、ボスに忠誠を誓った者ばかりだ。
もちろん互いの腹の内までは分からない。しかし当夜は全員にしっかりとしたアリバイがあった。
バラバラな五人分のアリバイではない。五人全員が会合の場で一堂に会していたのだ。片手で数えられる顔なじみ同士が、デリケートな問題について討議を重ねるさ中、煙のように抜け出し、ボスを撃って戻ってくる …… とても不可能だ。
「サツの仕業だわ。アジトの情報がどっかから漏れたのよ」
幹部のひとり、というかブルーノの情婦のくせしてビジネスにもくちばしを突っ込んでくるようになった出しゃばり女、アイリーンはそう言って爪を噛んだ。
「ぜったいそう。裁判じゃ有罪にできないからって、奴らがブルーノを片付けたんだ」
「だけどね、お人形さん」
ちびのスパンキーが横目をあげる。人間の小ささに応じた分け前では満足しない、欲深な小男だ。
「どう考えてもおかしいぜ。戸口に俺たち以外の誰かを迎えて、あのブルーノがようこそとドアを開けるかな?」
「そんなことは分かっとる」
オールド・マーニーがしわ嗄れ声で言った。長く生きているというだけが取り柄の、アメリカ史の副読本のような爺さんだ。古い教材で試験には出ないから、読んでも読まなくてもいい。
「分かりきったことを繰り返すのは年寄りの特権だ。お前は口を閉じとれ」
小刻みな手振りに合わせて、葉巻の煙が空中にジグザグ模様を描いた。アイリーンが顔をしかめる。
「あんたの煙出しこそ、少しは閉じたらどう」
「なんだと?」
「くっさいわねえ、その葉巻」
「たくさんだ。もうよそう」
私は泳ぐように煙のカーテンをかき分け、ぐるりと仲間を見回した。
「誰も会合を抜け出さなかったことは、ここにいる全員が知ってる。のんきに疑心暗鬼におちいっているヒマがあるのか?」
ビッグ・ブルーノという屋台骨がなくなった今、敵対組織が不穏な動きを見せている。血族の絆でガッチリと繋がったイタリア系の彼らと違い、われわれは単なる寄せ集めのビジネス集団なのだ。
ボスは東欧系移民で、大立者らしい通り名もイタリアっぽい押し出しを装ったにすぎない。新参勢力として当局への賄賂にも力を入れてきたが、近頃では効果が弱まりつつあり、デリケートな問題を解さない熱血捜査官による立件の噂も流れてきている。
「エドの言うとおりだ」
豊かなバリトンが響いた。鋼のアルビン、人脈豊かなナンバー・ツー、次期ボスの座に最も近い男。といった異名つきの役柄への憧れを捨てきれない、声の大きな役者くずれだ。
「結束が揺らいだスキをつかれたらひとたまりもないんだ。俺たちは互いに信頼しあっていかなきゃならん」
アルビンは鷹揚ぶって一同を見渡した。
「大体どう考えたって不可能だろう。ひとりの人間が同時に別々の場所にあらわれるなんて、ふたごの兄弟でもいない限り――― 」
アルビンの大声が途切れ、やけに効果的な沈黙が落ちる。
「ふたご …… ね」
確かにそれしかない。あの用心深いブルーノに、あっさり背中を向けさせたのだ。同じ顔した共犯者がいる場合のみ、犯行は成立する。仲間といったって、知り合ったのは密造酒ビジネスを始めたほんの数年前だ。お互いに家族や子供時代のことまでは知らない。
「エド。あんた、ふたごの兄さんはいる?」
アイリーンがこわばった笑顔を向けた。
「いいや。君は?」
「いないわよ」
ハイヒールのかかとがカポッとはずれ、だらしなく揺れた。爪先がりきんでいるのだ。「ママのハイヒールごっこ」をやった経験から、私には分かる。
「残念。いたら食事に誘いたかったね」
やあねエド、と言ってアイリーンはせかせかと煙草を取り出した。チラリと目線を送られたが、火は勧めない。私は「色めいた軽口を叩きつつプライドが邪魔して誘惑に乗れないタイプ」に徹している。この手の女は自分になびかない男をすぐにおかまと決め付けるから要注意だ。
ひそかな趣味をひた隠しにして私が成功しているように、ふたごの兄弟姉妹などいないと、ここにいる全員が言うだろう。それが真実かどうか、調べることは可能だろうか。みな黙り込んで、同じことを考えているようだ。
アルビンが口火を切った。
「ひとつ、子供時代の思い出でも披露しあおうじゃないか。高校の卒業アルバムを見せ合うってのはどうだ」
「ああ」
私はあいまいにうなずいた。近所の目を恐れた両親に連れられ、逃げるように故郷を離れて以来、生き方には細心の注意を払ってきたつもりだ。高校のアルバムなら問題ない。
「いいんじゃないか。学年に同じ苗字の同じ顔がいないか、それなら一目瞭然だろう」
「あたし高校行ってない」
アイリーンが言ったが、アルビンは構わんさと肩をすくめた。
「住んでた地域で聞き込みもしよう。顔なじみのおばさんやなんかに訊けば、あそこんちのふたごはイタズラでねえなんて昔話が聞けるかもしれない」
私は深く息を絞った。あのおばさんはどうだろう。私の性向に気づいていたかもしれない。
スパンキーがくくっと笑った。
「マーニー爺さんの子供時代なんて調べようがないぜ。まだアメリカが独立してなかった頃だろ」
「南北戦争だって終わっとった」
マーニーは葉巻をぐいぐいと灰皿に押しつけた。
「近所の住人なんぞ、金をやって口止めすることもできるわい。もっとはっきり証明できるものはないか」
「証明ねえ。出生証明書ってんじゃダメかな」
ハイヒールが椅子を蹴りつけた。
「あんたのは偽造でしょ。ブルーノが用意してやったじゃないの」
「おっと、そうだった」
スパンキーは中西部でケチなゆすりのもつれから傷害事件を起こした。その保釈中にトンズラしてきている。
「ボスとの大事な思い出だがね、身の潔白を証明するためなら、喜んで本物のほうをご覧に入れますよ。そういやあんたの身元もボスのお手製だったな。ほんとの年を聞けるのを楽しみにしてるぜ、お人形さん」
「チッ」
アイリーンは火を点けない煙草を床に投げつけた。
私は自分の出生証明書を思い浮かべてみた。
私の名前、両親の名前、生年月日、生まれた州そして証明書を発行した役所の名前がある。同じ生年月日を持つ家族の存在を、いやその不在を、確かめる方法はあるか?
「全員が自分の出生証明書を取り寄せてみせて …… 両親の名前をもとに、その夫婦が何人の子供を設けたか、調べることはできないかな」
私が言うと、保健局にいる知り合いに問い合わせてみようとアルビンが言った。役者時代からの妙な人脈を誇る彼なら、望みの情報を手に入れられるかも知れない。アルビンがデスクの電話を取りあげ、われわれは待った。
「俺は勘弁してほしいなあ。郷里で出生証明書の申請なんぞしたら、アシがついちまう」
スパンキーが弱々しく呟く。
しばらくして受話器を置いたアルビンは、むっつりと首を振った。
「ダメだ。プライバシー保護の観点からだけでなく、両親の名前なんて下位項目からの索引は、そもそも作成していないそうだ」
苗字が同じであり、生年月日が同じであり、ファーストネームは不明である、特定の誰か。五人それぞれについて、可能性のあるふたご候補をリストアップするとしたら、それはかなりの数になるだろう。そこから各々の書類で両親の名前を付き合わせる作業 …… 考えただけで気が遠くなる。
私はふとデスクの電話を見つめた。
「アルビン。今の電話は、本当に保健局にかけたのか?」
「何を言ってる。そんな芝居をしてどんな得が」
「芝居 …… そうだな。お手のものじゃないのか」
アルビンの顔色がドス黒く変わっていく。
「ふたごが怪しいと言いだしたのは俺だぞ。隠しておきたきゃ、自分から言い出すわけがない」
「さて、どうか」
オールド・マーニーが首をかしげ、両手の指を組んだ。
「そのぐらい、いずれ誰かが気がついたようにも思うが」
「 ――― 気の長い年寄りとかな」
「卒業アルバムも細工ずみだったりして。キャスト写真の修整なんて得意でしょ」
「 ――― 君ほどじゃない」
「撮影所なら似た背格好の人間を探せそうだぜ。スタンド・インだ」
「 ――― 映画とは訳が違う。直接顔つき合わす人間をごまかせるか」
「分かんないわよ。かがみ込まなきゃ顔の見えないチビなら」
アイリーンがすらりと足を組みかえる。スパンキーは痙攣するように笑った。
「マーニーじいさんの顔だって、常に煙幕の彼方だがね」
新しい葉巻を吸いつけていたマーニーはことさら大きく煙を吐いた。
「顔といえば、女が顔を塗りたくったらわしにはどれも同じに見える」
「老眼鏡直せば」
「ああ、なんてことだ。お前たちの誰かが郷里に三つ子の兄弟を隠してたって、俺は驚かないぞ」
大根役者の慨嘆に喝采はなく、探り合うまなざしだけが夏の羽虫のように飛び交った。
幹部同士を結託させないというブルーノの方針が、完全に裏目に出ている。私は額を押さえ、ぐったりと椅子にもたれた。
仕入れ屋アイリーン、実働部隊を束ねるスパンキー、出資人マーニー、金の洗濯屋である私、渉外担当アルビン。
バラバラの役回りとその責任を分け合うわれわれは、収益もきっちり等分することで牽制し合い、均衡を保ってきたのだ。ボスは、われわれ五人が揃ってアジトに現れるような事態だけを心配していればよかった。たったひとりで、女装してやってきたような誰かには、「食糧の差し入れならそりゃぴったりの扮装だ」などと笑って背中を向ければいい。
――― ひとまずは、安心だ。私は自分に言い聞かせた。
無事に高飛びさせたダンは私と「ママのハイヒールごっこ」をした頃養子に出され、以来別の苗字を名乗っている。養子縁組に関する書類は、保健局よりさらにガードが固いとも聞く。
組織の瓦解をゆっくりと見物してから、新しいファミリーのもとを訪ねるとしよう。“お世話になります、よろしく”ってのは、イタリア語でどう言うんだっけ …… 。