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シガレットビタースノー(2)

 ほとんどかけっこみたいに歩いているうちに、公園を出てしまった。
―― なんだって六年も経ってから、急に会いたくなったりするのよ」
「君が二十一歳になったから」
「お誕生日おめでとうを半ダース飛ばして、それから?」
 私が成年に達したからどうだというのだろう。
「君の判断で、僕を司直の手に渡してほしい」
「パパでもいいじゃない」
「君でなければ ―――
 ピーターの声が途切れて、風にかき消された。
 早足で歩きながら、私は待った。さんざん言いよどんで、ピーターはがっかりするようなセリフを言った。
「あやまりたくて」
 前言撤回だ。彼には私が言ってほしい言葉なんて分からない。
「じゃ、あやまれば? あやまったら気がすむの? ごめんなさいで終わりにするわけ?」
「クレア、声が大きいから」
 痴話ケンカ丸出しでびゅんびゅん歩く私たちを、すれ違う人がチラリと見た。
 まあ大騒ぎを演じて、ドラマチックなことね。
 おっと姉さん、気楽に行こうや。
 普段どおりに家路を辿るんだろう彼らの目で、状況をありのまま説明するとしたら、どんな言い方になるだろう。以前家に盗みに入った泥棒が、何年も経ったあとに、やあ久しぶりと会いに来たので、驚いた。こんなところか。
 整理してみれば大してドラマチックでもない。私がその泥棒に、恋をしていたのでなければ。
 わっと一歩走ってメロドラマを振り切った。
「あなた泥棒として落ち目になったのよ。それで戻ってきたのね」
「もう盗みはやってない」
「六年遊んで暮らせたわけね。あぶく銭を使い切って、キャリア再開?」
「違うんだ。僕は、盗んでない」
 私は歩みを止めなかった。
「あの夜、君が教えてくれた小窓から入って、食料庫の錠を壊して帰った。それだけだ」
……
 混ぜっ返し方が分からなくて後ろを見ると、ピーターが泣きそうな顔をしていた。
「あれは、ストームクラウドは、イミテーションだった。最初から」
「いつよ、最初って ……
「デレクが持ってきたときから。本物のほうはもうずっと以前に、主石だけ別の形にカットされて闇で売られていたんだよ。バーナビー家は、そこまで金に困っていた」
「それをデレクは、何くわぬ顔で担保に持ってきたの?」
「そうさ。お宅で保管してもらっているうちに、いずれクレアさんのものになるかもしれませんね、とかなんとか言って」
 二重の意味にとれる。私がデレクと結婚して、バーナビー家の家宝の相続人になるという意味と、単にデレクがお金を返せず、担保品がうちのものになるという意味。
「そういう言葉遊びをやる人だったわね」
「ああ。調子のいい ……
 ピーターが食いしばった歯のあいだから呟いた。デレク・バーナビーの悪口なら私たちは気の合う仲間だ。私はてくてく歩き続けた。
「パパに言えばよかったのよ。そのダイヤには手も触れちゃいけません、呪いのダイヤより厄介ですよって」
「うん。申し上げたよ」
―― パパは信じなかったのね? それであんな急に遺産をもらったなんて言わせて、あなたを追い出した」
「違うよ。旦那さまは信じた」
「じゃあなんで」
「そんな裏世界の情報を知っているってことは …… つまり僕が、プロの泥棒だってことだろう」
 この六年、ピーターは泥棒だったと、ミセス・オルグレンの当て推量よりはっきりした事実として、私だけが知っているのだと、ずっと思っていた。
「知らなかった …… いえ知っていたけど、違うわ、だから」
 ピーターは泥棒だったけど、泥棒はピーターじゃない。なんてややこしい。
「あのときパパは、ギリギリまでストームクラウドの鑑定を渋ってたわ。贋物だって知ってたからなのね」
「旦那さまには前歴までつつみかくさずお話しした」
 前歴といっても逮捕歴はないけどね、とピーターは少し恥ずかしそうに言った。自慢していいのにと、私は関係ないことを考えた。
「小説なんかでよくあるよね。ほんのちょっとだけ働いて、邸内のようすや人が寝静まる時間を調べたら、何か理由をつけてそこをやめ、しばらくあとに忍び込む」
「うちにも、下見のつもりで …… ?」
 ピーターはこくりとうなずいた。
「二年もつとめあげてしまってるうちに、何でも分かるようになっていたよ。雇い主夫婦の密かな野望までね。あの結婚を、やめさせたかった」
 そして身の安全を投げ捨てた。パパにそのまま警察につきだされるかもしれなかったのに。逮捕歴はなかったのに。
「旦那さまは、もう僕を雇っておくことはできないが、ストームクラウドの話は聞かなかったことにするとおっしゃった。ちょっと困ったときに換金したのだろう、上流の家にはよくあることだ、そっとしておいてもいいと。でも僕はどうしても気に入らなかった。上流なんて ―― あんな見下げ果てた男のどこが」
 いつからか、私たちは歩道の途中で立ち止まっていた。
「だから揺さぶりをかけるような騒ぎを起こした。泥棒が入れば保険屋は管理状態を確かめたくなるからね。小窓から忍び込んで、君の部屋まで行ってみようかと思ったけど、誰に見つかるかもしれない、階上へは行かずに立ち去った」
 あの明け方、このひとの夢を見た。たぶん彼が、私の部屋のドアをそっと開けるところを、静かに思い浮かべているころ。
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