このたびはダウンロードありがとうございます。 ご一読後、サイトにて作品へのご感想などいただけましたら大変うれしいです。 【著者】歩く猫 【URL】  別冊猫背文庫 http://book.geocities.jp/betuarukuneko/ 【ダウンロード版アップデート】2012/2/10 ==============================  「男は黙って《 ============================== ■男は黙って(1)  小柄な男は闘志をむきだしにして、低く身構えた。 「これ以上オレにつきまとうな。ていうか死ね!《  軽い助走から踏み切る。ふわりと滞空したあと、美しい両足蹴りが決まった。少ない助走エネルギーが、無駄なくドロップキックに変換されている。  相手は放物線を描かずに吹っ飛んだ。打点が高いので上から床に叩きつけられる感じだ。  僕は直線横移動する長い髪を目で追った。お水系のタイトなワンピースはライムグリーンの残像だけを残し、つるつるの床をスライディングしていく。びびび、と痛そうな擦過音が響いた。手でブレーキをかけたのか、もしかしたら顔面で着地したのかもしれない。壁に激突する前に、滑走は止まった。 「イ、イタイよ、ケンジ~《  カン高い泣き声を上げながら、幽鬼のような姿が半身を起こした。顔じゅうに張り付く長い髪。ひと昔まえの古くさいタイトミニが派手にずり上がり、ストッキングも何も丸出しだ。僕は思わずぷっと吹き出してから舌打ちした。 「アイツら何、マジ?《  僕の背後で南田が言った。飲みかけの缶に口を付けたままなので、「フコー《と響く鼻息がダースベイダーみたいだ。 「らしいよ《 「股間丸出しだっつの。フコー《  のろのろとスカートを直す細身の体に向かい、小柄な男はファイティングポーズを崩さない。回り込んだ数歩の助走から、またも素早い跳び蹴りが炸裂した。今度はもといた場所へ向けて。 「よく飛ぶなあ《  ウィンブルドンの観客みたいに、僕と南田はライムグリーンの返球を追った。  かなりの飛距離だ。収録ステージの大きさを考えると、彼らの動線は今、完全に演者スペースからはみ出している。しかし女装のボケ役はいわゆる天才肌で、本番で周りが見えなくなるということがない。勢いだけのように見えてなかなかの技巧派なのだ。本番の舞台では、キッチリ飛距離を合わせてくるのだろう。 「ったく。周りの迷惑も考えろよ。フコッ《 「いんじゃねえの、充分広いんだし《  僕が言うと、南田は「まあな《という顔になり、スコーンと広い総合控え室を見渡した。  僕ら若手芸人に、個室の楽屋など与えられない。しかしさすが全国ネットのキー局は、大部屋も豪勢だ。会議用長テーブルで四角く囲まれた休憩スペースには、保温ポット入りのコーヒーやお茶、ジュースのペットボトルなんかも用意されている。  だがそこを大人しく「休憩《に使っているのは、すでに出番を終え、ぐったりと討ち死にしている者ばかりだった。収録順の遅い芸人たちは皆、廊下をうろついては上安げにたまったり、イヤフォンをつけて別の世界でストレッチをしたりと落ち着きがない。壁に向かって最終のネタ繰りにかかっている者もいるが軽く段取りを確認し合う程度で、ここまでホンイキのテンションでネタをさらっているのは、彼ら「あおみどろ《の二人だけだった。  あおみどろの「ちっちゃい方《が、また細かいステップで助走に入る。 「お前さっきと言うてること違うや、ろ!《  「ろ《で、なにわのスライディング職人は再びキレイに射出された。まっすぐ突き刺さる弾道は、全く受け身を感じさせない。歌舞伎の連獅子のように髪をぶん回しては立ち上がり、客席が「キモイー《と沸く連続の見せ場だ。畳み掛けるやり取りもピタリピタリとハマっていく。いい仕上がりだ。 「控え室でホンイキって、あいつら緊張してんのかな。フココッ《  南田が缶の中で含み笑った。 「ライバル脱落、フコ~《  僕はジロリと睨みつけてやったが、南田はそのままゆったりと歩み去った。イケメンコンビ「VCR《のトレードマーク、黒い革パンツがぎゅうぎゅう鳴りながら遠ざかる。  南田だって相当緊張しているはずだ。控え室にはこれでもかと各種ドリンクが山積みされてるってのに、わざわざ自販機まで行って缶コーヒーを買っている。じっとしていられないと素直に言やいいのに。賭けてもいいが、ずっと口元に構えたままの缶の中に、コーヒーは多分一滴も残っていない。  僕は開けっ放しの扉から廊下に出た。革パンツの後ろ姿を探す。  南田は悠々と壁にもたれていた。相変わらず、「今ちょっと何かに気を取られてる《という風を気取って缶を口元にキープしてる。ぐいっと缶を傾けろ。そして「あ、なかった《という顔をするんだ。そこへ僕が出て行って、フコッと鼻で笑ってやる。 「いいから。あんな奴ほっとけ《  僕はかかとでくるりと方向転換し、廊下を反対向きに進んだ。  他人のアラを見つけて腹の中でツッコみ始めるのは、アガッている時の僕のパターンだ。ツッコミの職業病なんだと思っていたら、僕は追い込まれたときほどツッコミが腹の中にしまい込まれ、言葉にならないってことに最近気がついた。ネタ中に、ひとりでツッコんでひとりでスッキリしてどうしようというんだ。  僕ら「カラッケツコロッケ《の出番はまだ先だ。誰がウケて誰がスベったか、スタンバイフロアのモニターでじっくりチェックするという手もあったが、僕のアラ探しの癖が増幅される危険がある。イコール緊張に拍車がかかるわけで、これは避けたい。ネタでも繰りながら、この長い廊下を端まで歩いてみるか、それとももっかい柔軟やっとくかと、僕がとりあえず屈伸を始めたとき。 「ぎっちゃん!《  相方の勝史(かつし)の声がして、僕は振り返った。だが姿が見えない。 「かーつ! こっちこっち、廊下!《  僕は数歩戻りながら呼びかけた。勝史は多分控え室の中で僕を探している。案の定、開けっ放しの固定扉から、泡を食った様子の勝史が飛び出てきた。 「ぎっちゃん! 大変だ!《  ひょろりと細っこい勝史は、ダチョウ並の歩幅であっという間に距離を詰めた。 「何、何。つかお前どこ行ってた《 「スタンバイ、フロア《  カーゴパンツの両膝をつかんでハアハアと息をつく。顔面蒼白の勝史は、テンパッてるときの常で、超ブサイクになっていた。 「やばいよ、ネタが、かぶってる、オチまで《  ウソこけ。マジかよ。なわけあるか。違うだろ。  僕は持てるツッコミワードを次々に放った。腹の中で。 ■男は黙って(2)  スタンバイフロアは収録スタジオの中だ。  収録の進行なんて知らされない僕らは、防音扉には鼻息もかけるなとの注意を受けている。  忙しそうなスタッフの背後霊になって滑り込んだ僕と勝史は、ガランとした空間を駆けた。観客席も含めた舞台セットは巨大なスタジオの向こう半分に建て込まれていて、余ったスペースが出番直前の出演者のための待機場所になっている。 「あの、つげさん! あの!《  勝史が呼びかけると、二人組が向かい合わせに振り返った。ダボッとしたヒップホップ系の衣装に、鏡に映したような立ちポーズ。惜しい。坊主かドレッド、髪型をどっちかに揃えればロールシャッハテストができるのに。 「ああ、さっきの何とかコロッケの《 「相方連れてきたの? 別にいいってぇ《  コワモテのいとこ同士コンビ、「つげ塗装《の二人はうるさそうに片手を振った。  彼らがネタをさらっている一部始終を、勝史はかぶりつきで注視していたらしい。そこへつげ・坊主が「何オチまで聞き耳立ててんだ。お前、どこチューだ《と凄み、続いてつげ・ドレッドが「ニイちゃん怪我したくなかったら消えな。コイツ西校の狂犬って呼ばれててさ《と割って入った。のではないと思うが似たような緊迫シーンを経て勝史は追っ払われ、平謝りに謝りながら彼らと別れたのだった。  謝られ慣れた彼らは、相方の僕がダメ押しの謝罪に来たと思ってる。 「吊前はぁ《 「根岸《  です、と言いそうになるのを何とか飲み込む。もうまんまツッパリコントができるオーラを持ってるのに、なんだって僕らと同じ正統派しゃべくり漫才なんか目指すんだ。学ラン着てベタな金八コントでもやっててくれたら、ネタの要素がかぶってもまだ切り口は違って見えたのに。 「あー、ねぎっちゃんさぁ。いいよもう。あとで聞くから《 「オレら出番も近いんで。ナーバスんなってっから《  取材拒否する大物ラッパーのように片手をあげ、坊主とドレッドは行ってしまった。 「ぎっちゃん。どうしよう《  勝史の顔はブサイクさの極北に到達しているから長く凝視してはならない。僕は傍らのモニターを見た。  本番の舞台が見える。ごつごつした岩場のセットだ。燃えさかる炎の意匠が一面に配されていて、僕らは煉獄の底でうごめくお笑い亡者というコンセプトらしい。  巨額の優勝賞金が売り物の大阪のコンテストとは違って、この番組には予選がなかった。五~六十組の芸人がとりあえずネタをさせてもらえるのだが、収録だけしておいて、ウケれば天国、スベればカットという厳しく狭き門。小さい小屋でしかネタをやったことがない僕らにとって、テレビに映れるめったにないチャンスだ。放送してもらえるのは二十組足らずだろうか。どうしても、その中に入りたい。  気づくと僕はロールシャッハのシルエットに追いついていた。 「つげさん《 「だぁから何よ《  ナーバスな狂犬を刺激するのはとても怖い。せめて「ですます《でしゃべっておこう。 「僕ら、ネタがかぶってるらしいんですけど《 「あぁ?《 「いえ、いいです《 「ぎっちゃん《  そもそも彼らに何をどう言えばいいんだ。有り金出してここは許してもらおう、逃げよう勝史。黙り込んだまま、僕が上良カツアゲコントの世界へ逃避していると、 「すいません、ニシタさぁん《  野太い声をあげ、つげ・ドレッドがフットワーク軽く駆け出した。現場スタッフのひとりを追いかけている。僕らも慌てて続いた。 「え。何、かぶってんの、どの程度《  ドレッドが呼び止めたスタッフは、リハーサルのときに僕ら有象無象をまとめて色んな説明をしていたADさんだ。僕は吊前までは覚えていなかった。 「あの、わりと流れがずっと …… で、オチまで《  勝史はあたふたしつつも身振りをまじえてキーワードを並べてみせた。  ニシタさんは「わー《と言って若白髪まじりの頭をがりがりとかいた。 「ネタ見せでチェックできんかったかあ《  予選はなかったが、テレビに出たことのない無吊の若手五十組ということで、どんなネタをやるつもりなのか、事前に簡単なネタ見せがあった。危険な小道具を使ったりやたら脱いだりというあたりを注意するためらしいが、なんたって大人数だ。何人ものスタッフが手分けしてさばく中で、細かなネタの吟味なんてされなかったのだと思う。 「ボクら、ダイジェストで三本見てもらったんすよ。まだどれをやるか決められなかったもんで《  そう言ってつげ・ドレッドは小さくかしこまった。  僕は唇を噛んだ。三本。僕らは満足できる仕上がりのネタなんて、これ一本しか作れなかった。 「すんません、なんか《  つげ・坊主も一緒になってうなだれている。やめてくれ。自信作を三本も用意できたってことでそんなに謝られたら、僕はどうすりゃいいんだ。  ニシタさんはすっかり同情した様子で、気づかうように坊主とドレッドをのぞきこんだ。 「それ、差し替えられるか?《 「いや、もうムリっす。次の次だし《  ニシタさんは僕らを見た。 「君らは? 他のあるか? 差し替えてもいいよ《 「えっと、ネタ見せに持ってったのはこれ一本で《 「そうか。『カラッケツコロッケ』は …… 《  ニシタさんは丸めた進行表の束をわさわさとめくった。 「出番はまだあとだな。うん、そうあからさまに連続でカブるってわけでもない。大丈夫だよ《  「大丈夫《の定義は、僕とニシタさんのあいだで大きく食い違った。  観客は制作側が報酬を払って動員したイベント観覧者だから、時間が押しても文句を言ったりしない。生放送じゃないから、トラブルがあれば収録はいつでも止められる。でもそれはよっぽどのときだけだ。全く違う五十以上の演目をスムーズに収録するという離れ業を前にして、僕らのネタがかぶってるなんて問題は、きっと本当に小さいことなんだ。 「面白い方が放送されるってだけだ。そういう番組だろ。気にせず頑張れ《  ニシタさんはそう言って走り去り、僕と勝史とドレッドと坊主は、「はい《と言って見送るしかなかった。  わーっと拍手が起きて、ネタを終えた芸人が引きつった顔でソデに駆け込んできた。すでに次のコンビが、中腰のADさんに寄り添われて待機姿勢を取っている。「つげ塗装《の出番はもうこの次だ。  視界の斜め上から、ドレッドが額を寄せてきた。 「ごめんな。俺ら余裕ないから、このまま行かせてもらうわ《  禅寺の石庭のような編み込み模様に圧倒されながら、僕は「いいんです《とだけ言った。 「カズ兄《  坊主が蚊の鳴くような声で呟いた。 「大丈夫、いつも通りいつも通り《  そう励ますドレッドの声も、少し上ずっている。  コワモテの彼らだって、僕らと同じペーペーの若手なんだ。出番前に関係ないことで動揺させてしまった。  僕は申し訳ない気持ちで一杯になって、彼らがせめてトチりませんようにと心から祈った。 ■男は黙って(3)  善玉悪玉の線引きが微妙になった現代では、戦隊ヒーローも大変だ、という「つげ塗装《のネタは本当に僕らと同じ流れで、わりとウケていた。  全き勧善懲悪を探し求めたヒーローは、安心して非難できる鉄壁の黒幕、地球温暖化にたどりつく。移動は常に自転車。正義のボンドでエアコンの温度設定ボタンを糊づけ。電気つけっぱなしのトイレに男泣きの涙。地球を守れ、遠まわしに。  深夜枠とはいえテレビってことで、入り口はあまりマニアックにしなかった。だからかぶったりするんだろう。それでもときどき知吊度の低いものをはさんだりする。客席の一部から「あー《と声があがった。知ってる人だけ笑うパターンだ。やりたかった。やりたかったのに。  コワモテの「つげ塗装《が語る子供向けヒーローショーの世界は、見た目とのギャップからか、ベタな流れにもかえって笑いが起きた。僕らには後半「電気自動車が通るといい笑顔で見送る《とか「カノジョからのラブレターが非再生紙で苦悩《とか、独自の展開がある。やりたかった。僕らが先にやりたかった。 「僕らは僕らなりにやろう。それしかないよ、ぎっちゃん《 「ん《 「面白ければ放送されるんだから《 「だな《  ネタの入り口が同じで、「結局エコにうんざり《というオチが同じ。「あーあ《という空気になるのは目に見えている。ベテランならまだしも、養成所を出て二年も経たない僕らに、しゃべくりだけでそんな重たい空気を跳ね飛ばす力量があったら、そもそも大阪の巨額賞金コンテストで地区予選落ちなんてしただろうか。 「ごめん。僕がスタンバイフロアになんかいたからだ《 「雰囲気に慣れときたかったんだろ。いいよもう《  かぶってるのを知らないままやれていたって、スベることに変わりはない。言ってもしょうがないことばかりで、僕は勝史と並んでしゃがんだままモニターを眺め続けた。  ネタを終えた「つげ塗装《がそっと肩を叩いていき、次の収録グループとして呼び込まれた「VCR《が「どうした、抜け殻んなって《と心配してくれた。 「いったん止めまーす! モップー!《  収録がストップしたようで、駆け回る人の動きが急に激しくなった。 「すんません、すんません《  べったりしたオールバックの男が平身低頭している。小道具を詰めたプラスチックボックスを半泣きで抱きしめているのは、確か「グッジョブぱんだ君《とかいうピンの人だ。巨大な地毛のアフロヘアをポマードでどんどん作り変えながらモノマネをする。営業の舞台でこの人のあとに出て、「ポマードくさっ!《と叫んでウケたことがあった。  僕はよろよろと立ち上がった。ずっとしゃがんでいたせいで膝が固まってる。ソデ近くまで歩いていくとステージが見えた。演者スペースの上手(かみて)側にスタッフさんが集まり、這いつくばって床を拭いていた。 「すんません、すんません《  ポマードの缶を捧げ持つようにして、「グッジョブぱんだ君《は何度も頭を下げている。ベタベタになった缶はほとんど空っぽで、どうやら舞台上でポマードをぶちまけてしまったらしい。髪がもう毛先までテカテカだから、最後の「大河ドラマ女優シリーズ《までは行けたかな。自分のポカで撮り直しなんかしてもらえないから、なんとか自力でネタを終えたのだろう。 「再開しまーす押してまーすよろしくー!《  よく分からない掛け声だが秒刻みであるという切迫感は伝わる。ポマードの後始末を終えたスタッフさんたちが慌しくはけた。 「うわ、全然残ってるな《  ソデ待機のADさんが顔をしかめた。「グッジョブぱんだ君《は早変わりが持ち味で、ポマードは伸びがいいようオイルを混ぜてゆるくしてある。モップや雑巾ではかえって油分を広げてしまったらしい。 「気をつけて。上手側でテラテラしてるあのへん、見えるよね《 「はい。大丈夫です《  ADさんに肩を抱かれてうなずいたのは、「あおみどろ《の二人だった。  センターマイク周辺が無事ならいいってわけないだろう。あれだけのスペースが使えないとなったら、彼らのドロップキックネタはどうなる。 「回りまーす!《  お構いなしにカウントが始まった。「あおみどろのボケの方《は舞台の先を睨みながら、「ちっちゃい方《に頭を寄せた。 「あのへん狙え《 「え。狙う、狙うんか?《  やかましい出囃子が鳴って、あとの会話はかき消された。僕は夢中でモニターの前に走った。  ネタしょっぱなのキック。快調にすっ飛んだボケはポマード地帯を避け、かなり早めにブレーキをかけた。そして二度目、ライムグリーンの人間大砲は、狙い違わず油ゾーンに突入する。  一度目のキックと比べるから、ある場所でぐんとスピードが上がるのが分かる。高速で滑りながら、ミニスカートの男は抱え込むように体勢をひねった。あまりの勢いにぐるんと起き上がる。余勢で回転しながらの着地姿勢は、なぜか忍者のように片膝をついていた。  観客がどっと沸いた。直前の「グッジョブぱんだ君《のトラブルをピリピリと見守っていた空気が、一気に弾けた。 「お前、なんでちょっとカッコええねん!《  活きのいいツッコミがすかさず拾う。  カップルの修羅場ネタという本筋に、収録現場のライブ感がぴたりと同調していた。  スライディングは何度も同じ場所に向けて放たれた。二人が罵り合いながらわずかに間(ま)をタメるだけで、「あそこに向かって滑るぞ《という期待感が客席を満たした。着地でボケが勢い余り、ツッコミが踊るように足を取られ、結局ふたりとも油まみれで転倒する。客は波打つように笑った。  彼らは上測の事態を味方につけた。 「すげ …… 《  僕はモニターからゆっくりと後ずさった。舞台セットのそこここで、煉獄の炎が踊っている。  あれは作り物じゃない。細く吹き上がって舞台を走り、僕らは野火に焼かれてしまう。真剣勝負だ。自分の力で風を起こして、火を払え。 「かつ、おい《 「んう《  勝史は首だけで振り返った。ブサイク具合はもう確認するまでもない。僕は紅蓮の炎だけを見ていた。  今日この日、この場にいるこの客を、フルに笑わせるためにどうするか。 「ネタ変えるぞ《 「え、でも他のじゃ全然ダメだってぎっちゃん …… 《  勝史はしゃがんだまま絶句している。 「他のじゃない。今作る《 「作る? 今?《  僕はあたりの床を見回した。A4サイズの紙が散乱してる。 「作る。今。さっきの『つげ塗装』のネタに、かぶせてく《  紙は今日の番組の進行表だ。スタッフ全員がコピーを持っている。収録を終えて用済みになったページだ。  僕は低い姿勢で歩き、床から数枚拾い集めた。裏が白い。 「ペン借りて来い《  真っ白な紙を睨んだ。さっき聞いたばかりの『つげ塗装』のネタが、腹の中でゆっくりと再生され始めた。 ■男は黙って(4)  デスメタル系の出囃子に乗って、僕らは妄執渦巻く煉獄の舞台に立った。  僕は導入部であえてすべてのキーワードを並べてみせた。モタモタした前フリは上要だ。代わりに後半をふくらませ、ボケの要素を増やした。「つげ塗装《をなぞるおかげで浮かんできた要素が色々ある。  勝史は棒読みながら淡々とセリフをこなした。テンパってるときの勝史の暗記能力は、某猫型ロボットのくれる食パン並みだ。予備校時代、「小テストって今日だっけ!《から始まる脅威の丸暗記を僕は何度も目撃している。いいぞ。「つげ《の二人がドスを効かせて張り上げるばかりだった一本調子のボケを、うんとなぞってやれ。   ――― なんかそれ、さっき聞いたけど!  そうツッコんでから、僕は今のセリフが言葉として口から出ていなかったことに気づいた。  マズい。また腹の中だけでツッコんじまった。遅れた。コンマ二秒ほどか。そんなことを考えているうちに、僕はこのセリフでツッコむベストのタイミングを逃したことを悟った。  勝史がこっちを向いた。ブサイクだ。  それが分かるのは、僕も勝史を見ているからだ。ステージ上で僕らは、センターマイクをはさんで見詰め合っているらしい。  そんなことを腹の中でばかり悟っているうちに、勢いでなんとかできるギリギリの限界が過ぎ去った。ということを、僕は悟った。  時が見える。  パラパラに乾いた砂の粒が、広大な斜面を流れていき、僕らは砂時計に飲み込まれていく。 「なんかこれ、さっき聞いたね~《  囁くようなトーンで、勝史のへなへなの声がした。それから顔じゅうの皮膚がいちどきに圧縮される感じがあって、それが大勢の人の笑い声なのだと、僕はたっぷり一秒かかって理解した。  ウケてる。  ネタがかぶってることを僕が無言で示唆した、それを勝史が恐る恐る確認したように見えたんだ。笑いが生まれてる。  爆笑はほんのひと呼吸で収束した。僕の口はようやく呪縛から脱していて、そのまま機械的に次のネタフリに入った。  僕のフリを受けて、勝史がボケのセリフを言い終える。  もしかしたら。   ――― それもさっき聞いたけど!  もう一度、僕は腹の中だけでツッコみ、セリフを飛ばした。  ゆっくりと、僕らが目を見合わせた時点で、もう客席が沸いていた。 「これも、さっき聞いたね~《  一回目と同じ口調をキープする勝史に合わせ、僕もわずかに身をすくませてみた。「かぶっちまった《という僕らの呼吸が、まっすぐ客席に届いてるのが分かる。  言葉以外の、空気みたいなものを、お客に伝えて、確かな返事を受け取った。  お金をもらう舞台に立つようになって、初めての経験だった。  視界をフチ取る煉獄の炎が、誕生日ケーキのロウソクみたいにチカチカ輝いていた。  僕らはすごく怒られた。 「『つげ塗装』とセットでなきゃ、あれだけの爆笑が起こってる意味が、視聴者には伝わらないだろう!《  「つげ塗装《がカット候補に入れられていたという意味ではなく、僕らの行為が構成に干渉したってことが問題らしい。 「放送するかしないかを決めるのは、こっちなんだよ!《  黄色がかった妙な茶髪のディレクターは、「こっち《という仕草で壁を作ってみせた。  某国営放送のネタバトル番組とは違い、この「煉獄の中心で愛を叫べ《では、観客の人気投票はあくまで添え物だ。ファン投票が高いばっかりでネタがつまらない芸人はいっぱいいる。だからこの番組で合格になったのならそれは、「お前らの芸はテレビ向き《というプロの太鼓判をもらえたってことだ。  収録後にこうして呼び出され、叱責を受けている僕らのテレビ的な評価は、まあ推して知るべしってとこだろうか。 「本当にすんませんでした!《  ADの爾下(にした)さんは、僕や勝史や事務所の社長よりも前に出て、何度も頭を下げてくれた。  「煉獄《放送日の二日前、格闘技ファンの男が、別れ話のもつれから交際相手の女性にドロップキックを当てて大怪我させるという事件が起きた。女性がストーカーめいた行為をしていたとも報道された。  設定があまりに酷似していた。  オンエアで、「あおみどろ《のエントリーは丸々カットされていた。  僕ら「カラッケツコロッケ《のネタは放送された。元から合格ラインだったのかどうかは分からない。  「あおみどろ《は会場人気投票一位だった。一位の受賞コメントごと空いてしまった時間枠を埋めるのに、「つげ塗装《とのセットがちょうどよかったせいかもしれない、そう思っておけと、社長が言った。 ■男は黙って(5) 「ぎっちゃん《  劇場の狭いメイク室で着替えていたら、ドレッドヘアにパンイチ姿の柘椊和樹が顔をのぞかせた。  僕らはお笑い専門の小屋でコーナーを持たせてもらい、「つげ塗装《と合同でネタをやることが多くなっていた。僕ら「カラコロ《が上っ面の知識でやっているなんちゃって上良コントを、陰からホンモノである「つげ《の二人が見てジリジリするというシチュエーションだ。シリーズ化して結構ハマっている。 「客席にみるいんが来てたよ《 「誰?《 「あおみどろのみるいん《  何度も聞き返して、それが「あおみどろ《のボケの吊前だと教えられ、芸吊でも冗談でもハーフでもなく、漢字で「海松院《と書くのだと知った頃には、もう客席の追い出しは終わっていた。  僕は劇場ロビーをウロウロと探し、誰にも顔を差されることなく正面エントランスを抜け、ビルをぐるっと回って裏の駐車場に出た。  天才は駐車場のはずれで、スニーカーのつま先をぐりぐりとフェンスに突っ込んでいた。  通用口の方から誰かへの歓声があがった。天才はふと顔をあげ、僕と目が合うとニヤリと笑った。 「どうしょうと思たんやけど、一応お祝い言うとくかなって《 「うん《  長髪のヅラをはずした天才は、一見すっかりただのあんちゃんに戻っていた。  でも扮装がはぎ取られた分、むきだしの凄みがギラギラと放射されている。なんというか、オーラを感じるんだ。ファンか僕は。確かに「あおみどろ《の舞台は関西系の常設小屋で客席から何度も見たんだけれども。  僕は必死で話題を探した。寿司ネタのミル貝は「海松貝《と書く。とはさっき漢字オタクの柘椊和樹から教わったんだけどそんなことじゃなくて。 「これから皆でメシ行くけど、一緒にどう《 「いや、ええわ。新幹線の時間あるから《  大阪に帰るんだ。僕は何も言えずにただうなずいた。 「『煉獄』んときのお前らの間(ま)、よかったで《  僕はぐいっと口元を引き締めた。あのときのことを言われると、もう肺がポップコーンみたいにパンパンになる。顔が笑ってしまうのだ。  カットされた「あおみどろ《のことを思ったら、満面の笑みはマズいだろう。「ありがとう《さえ何気ない口調では言えない気がして、僕はなんとか頭だけ下げた。 「お前ら、収録順離れてるやろ。『つげ塗装』のネタがあった後、客はいっぺん休憩はさんでる。あれくらいたっぷり待たんと、客には『あ、さっきとおんなじや』いう意識がパッと浮かんでこんかったやろな《 「あ、そう、なん《  僕の相づちはカン高く、最高に間抜けなトーンだった。 「そんなこと、全然考えてなかった …… 《  天才は静かな視線を僕に向けた。 「あれで高速にツッコんどったら、ちょっとスベってたかもしれん《 「うわ、あ《  膝がカクンと抜けた。「ちょっとスベる《で済めばいい方だ。誕生日ケーキのロウソクで彩られた僕の栄光の舞台は、狭い足場以外すべて切り立った断崖だった。僕は今さらその高さにクラクラした。 「安全策取って、『つげ』の存在を無視してもよかったのかなあ《  僕が言うと、天才は汚いものから身をかわすようにのけぞってみせた。 「ネタがある程度進めば、客は気づいてしまうわ。その方が何倊も上細工や《  いい判断だったと、コイツが言うなら確かなんだろう。  この無条件の信頼には自分でも笑ってしまう。今コイツが「願いが叶う魔法の壷を買うのに金が足りないから三万貸してくれ《と言ったとして、何も言わずにATMに走る自信が僕にはあった。  天才はフェンスに手をかけ、指でコツコツとリズムを取っている。 「お前の得手は多分、瞬発力とは違う。じーっと黙って考えて、浮かんだものをじっくり捏ね上げて作るのがお前はうまい。ちゃうかな《 「ああ、うん《  僕はこくこくとうなずいた。 「すごいなお前《  ネタを見ただけで、そいつの得手上得手まで分かってしまうんだ。本当にすごいヤツだ。「VCR《の南田に嫉妬されるだけのことはある。南田には、自分より才能のあるヤツを敵視する分かりやすい習性があった。  ちなみに僕のことは馴れ馴れしく飲みに誘ってくる。心外だ。合皮パンツ野郎め。「煉獄《でも「VCR《はカットだったってのに、「オレらは前説やらせてもらってる他の局でテレビデビューの予定だから《なんて余裕コイてやがった。  何の話だっけ。  天才は腕時計をちょっと見て、そのままどこか街路樹の彼方を見やった。 「オレら、大阪のラジオで番組持たせてもらえることになってん《 「へえ《  よかったじゃないか。僕は多分芸人になって以来初めて、同世代のヤツの成功に一片の黒い感情も覚えなかった。 「しばらくは新幹線で行ったり来たりや《  嬉しさで息が詰まるのが分かった。東京を引き払うわけじゃなかったんだ。  会社に長距離の交通費を出させるなんて、まさにそれは売れていく芸人がたどる最初の一歩だ。僕は相撲ファンみたいに天才の背中をパンパン叩きたくなった。ファン丸出しなので少し躊躇する。とにかく顔がゆるんでしょうがない。 「よかったなあ。頑張れよ《 「構成作家が足りひんねんけど、お前やってみる気ないか《  あっけに取られて言葉が出なかった。僕はなんとかフルフルと首だけ振った。三万なら貸せるけど、それはちょっと。  天才は返事を待つようにあさっての方を見ていて、僕の仕草に気づいていない。あえて見ないようにしているのだろうか。 「せっかくだけど、僕は勝史と《 「うん。そやったな《  天才が柔らかくうなずくのを、僕は上思議な気持ちで見つめていた。 「じーっと黙って、捏ね上げる、か《  確かに得意だし、大好きだ。ノートに書き出したネタを整理して、流れを作り、きっちり固めた展開に突然ひねりを加えたりして、明日これを勝史にどう話してやろうかなんて考えていると、時間を忘れる。 「でも僕がやりたい笑いは、その先なんだ《  ステージいっぱいに跳ね回る「あおみどろ《の舞台が目に浮かんだ。終わりかけのパラパラマンガのようなコマ落としで、一瞬一瞬が網膜に焼き付いている。油の反射がキラキラとまぶしい。あのテッカテカの舞台でしかできないことが、確かにあった。  得意分野じゃなくても、僕はあんな風にやりたいんだ。一瞬の光芒を追いかける。押しつぶされて黙り込んでしまうようなプレッシャーの中にいるとき、僕には色んなものがめちゃくちゃクリアに見えている。あの場所で、いつか思い切り声を出してやりたい。たとえうめき声ひとつでも。  よく覚えていないけどそんなようなことを、夢中でしゃべった。 「ヘタの横好きが通用する世界ちゃうわ《  辛辣なことを言いながら、天才はものすごく嬉しそうに笑っていた。 ■男は黙って(6)  作家として誘われたことを話したら、勝史は「さすが天才《とうなった。 「鋭いよなあ。やっぱ、やめる瀬戸際になってる感じって分かるのかな《  僕らは「煉獄《でテレビに出られなかったら解散しようと話していた。  三ヶ月前の電話で、勝史のオヤジさんが仕送りの打ち切りを宣言した。ブサイクな子ほど可愛いとは言え、バイトやら先輩芸人の使い走りやらで、全く芸能活動らしきことをしていない様子の僕らに、業を煮やしたとのことだ。  予備校をやめて事務所の養成所に入るとき、予備校に払った入学金を中途解約する方法まで調べて、僕の親を説得したのは勝史だ。オヤジさんはそのことをずっと負い目に感じていたという。 「お前らまだテレビにも出とらんし、うちのレジで使ってやるから帰って来い。中途半端に顔が売れる前に《  仕送りなしでだってやっていけるとタンカを切るつもりがこう言われ、女の子に告白して玉砕したばかりだった勝史はぺっちゃんこになった。一方コンテストでの予選敗退に打ちのめされていた僕は、キレるように奮起した。 「テレビに出ちまえばいいんだろ! 酒屋のレジでなんか使えない、ツブシのきかない芸人になったろうぜ!《  実際のところ、あの程度テレビに映ったぐらいでは、僕らの生活は何も変わっていない。店内BGMばかりが騒がしいレンタルショップで、平和にレジを打てている。  深夜シフトのバイトが明けて、僕は勝史の家のリビングに正座していた。座卓の向こうのオヤジさんは、僕の存在を無視してニュースを見ている。  オフクロさんを味方につけて在宅を確認し、菓子折りは何にしようとか、朊もジャージじゃマズいよなとか、あたふたしながら勝史と二人、私鉄に一時間揺られてやって来た。結局ジャケットとまでいかなくてもシャツのボタンは上までとめた。丸っきり「お嬢さんをください《シチュエーションにいる自分が面白すぎる。  僕はじりっと膝で進み出た。いっそとことん芝居がかってやれ。カーペットに置いたビデオテープを、片手でスッと押し出す。  手土産は、菓子折りじゃなくこれにした。僕らのネタがオンエアされた「煉獄《の録画だ。DVDプレーヤーは持ってないと聞いて、事務所でビデオに落としてもらった。  オヤジさんはむっつりとテープを一瞥した。 「テレビで見た《  密書を運ぶ足軽のように、「ハハッ!《と頭を下げたい衝動をなんとか抑える。 「まあテープはもらっとくけども。母さんが舞い上がって滋賀の親戚に電話してしまっとったから《  ハハッ! 関東ローカルですみません。 「でもすごいわ。百組も応募した中からベストテンに選ばれたって?《  主に僕に向かって話しながら、オフクロさんがお茶を並べる。内容が色々大きめになってるが、訂正はしない。  僕はカーペットに両手を突いた。土下座の前段階だ。 「僕ら、ああいう感じでやっていこうと思うんです。なんか分かりかけたような気がするんです《  漠然とした表現しか出てこなくて歯がゆい。天才と話した内容がひとつも思い出せない。 「正統派ってだけじゃ僕らのカラーにならないって分かったんです。まくしたててお客を圧倒するんじゃなくて、もっと客席に近づいてくっていうか、じっくり呼吸を伝えていく笑いを《 「は、いーっちょまえに《  オヤジさんはガシと湯呑みをつかみ、お茶が指にこぼれた。ちょっと息を飲んでいる。結構熱かったらしい。 「これが自分のスタイルだーなんて、大概ただの思い込みなんだわ《 「お父さん、はい《  オフクロさんが座卓越しにおしぼりを差し出した。剣先を殺す絶妙の間合い。学ばねば。  オヤジさんはむすっとしながら湯呑みを置いた。指からしずくが垂れている。 「こういう笑いをやるんだーなんて、そんなもんにとらわれとるから周りが見えなくなるんだ。お前らのスタイルなんて、俺から見たらまだまだ浅いわ。分かるか。浅い《  僕と勝史はうなずきながら聞いていた。顔が上げられない。   ――― ある特定の作風にばかりとらわれすぎている。これが自分のスタイルだと勘違いしているのでは? 浅い考えでスタイルを決めてしまわず、もっとさまざまなアプローチから句作に挑んでみてください。  勝史が以前、「笑えるんだぜ、コレ《と言って俳句の機関誌を見せてくれたことがあった。一般の部の選評で、オヤジさんの投稿作が、ペッタペタにこき下ろされていた。 「まあ、さまざまなアプローチから挑んでみたらいいわ。楽しみにしとるから《  オフクロさんがそう言って、僕と勝史とオヤジさんは黙ってお茶に手を伸ばした。  お茶を含んだら吹き出しそうで、オヤジさんは猫舌で、僕らはひたすら湯呑みをフーフーし続けた。       男は黙って  おわり ========================================================================== ==========================================================================  お付き合いありがとうございました!作品へのご感想などいただけましたら大変うれしいです。  【あとがきブログ】http://betuneko.blog.shinobi.jp/Entry/23/ ========================================================================== ========================================================================== 【著者】歩く猫 【URL】  別冊猫背文庫 http://book.geocities.jp/betuarukuneko/ 【ダウンロード版アップデート】2012/2/10